★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年2月22日
8.細かな配慮
この章で取り上げた以外にも、今までこの深読みで書かせて頂いた細かい配慮が幾つもありますので、重複になりますが、ここで簡単に再確認してみたいと思います。
1.村側の負の記述を少なくし、良い面を強調して、読後感をアップ
村人は、自分達の保身もあって藤五郎を出府させました。
また、藤五郎自身も、名主の本来の役割を放棄して村人側につき、掟を破って出府し、家族全員磔という結果を招いてしまいました。
つまり村人にも藤五郎にも罪があるのです。
しかし作者は村側や藤五郎の負の部分は明記せず、暗ににおわす程度にしました。
逆に、村人が社を建て続けたり人形を作った様子とか、藤五郎が長松に笑ったりといった立派な部分は明記しています。
この作者の書き分けにより、村人や藤五郎の負の行状は印象に残らなくなり、良い印象が残るよう誘導されています。
村人は読者そのものですので、村人に良い印象を持つということは、読者自身も良い気持ちになり、読後感が良くなっているのです。
既述…5.村人はどんな存在か? 3.村人は誰か?
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2.長松を名主の息子と意識させないことで、長松側に読者を誘導
名主とは庄屋ともいい、村を代表する家です。
名主は世襲か、田畑を所有する本百姓がなります。
村の代表なので、大きな名主になると使用人がいたりする、村でも富裕層に入る者です。
藤五郎の家は4人だけの家族なので豪農という訳ではないかもしれませんが、貧乏ではなかったと想像できます。
しかし作者は冒頭から長松がウメの霜焼けを取らねばならない話を書き、また一家の暮らしぶりを全く描かないことで、藤五郎一家が貧農のような雰囲気を出しています。
主人公一家が豊かであるより、貧しい方が読者の同情を引きやすく、感情移入もしやすいので、敢えてそのような書き方をしたのだと考えられます。
また庄屋と書かず名主と書いたのも、読者が長松一家に感情移入させやすくする工夫だと考えられます。
庄屋と書くと、読者は勝手に、藩側のお目付け役で、使用人を何人も抱えている贅沢者をイメージします。
テレビや読み物で「庄屋」はそんなイメージで伝えられることが多いからです。
また庄屋の息子は、出来が悪く村娘を強引に嫁にもらおうとしたり、村人を苦しめたりするパターンがよく描かれます。
さらに庄屋の娘は、わがまま放題で村の男を自分のものにしようとしたり、親に無理難題を言ったりする姿がよく描かれます。
つまり「庄屋」という言葉には、ネガティブなイメージがついて回るのです。
そこで作者は、庄屋という言葉では無く、名主と言う言葉を選んだのだと想像できます。
名主と言う方がなんとなく徳が高そうですし、子供達も良い子のように思われるのです。
なお藤五郎一家を敢えて名主という設定にしたのは、
名主以外は藩に捕まった際に他の村人も責任を取らされる可能性が大であることや、藤五郎の村運営がうまく行っていたことを示唆し、その優れた名主を死に追いやったという責任をより重く村人に感じさせるためなどの理由があると考えられます。
既述…2.父親藤五郎はなぜ「出府」したのか? 1.長松の父親はどういう人物か?
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3.藩側を描かないことで、読者の気持を長松側に誘導
よく読むと藩は花和村に対して極端な圧政をしいていたとは思えないのですが、作者は藩の事情を描かないことで、読者の気持を長松側に誘導しています。
その結果、「数が少なく、無駄のないセリフ」で解説させて頂いた藩の役人の無機質なセリフとあいまって、掟を破って直訴を行ったのは村側にも関わらず、藩の方が悪いイメージになっています。
既述…5.村人はどんな存在か? 2.悪いのは誰か?
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4.重要なことを書かないことで文章量を削減。主題を際立たせ、読後感を良くし、内容も深めている。
『ベロ出しチョンマ』は、非常に重要だと思われることが明文化されていません。
藤五郎が直訴に至った理由。
出府の結果。
主題。
長松のベロ出しでウメが笑ったかどうか。
処刑後村はどうなったか
……いずれも作者は書こうと思えば書けました。
しかし作者は敢えて明文化しませんでした。
明文化しないことで、読者の無限の想像力に理由や結果を委ねたのです。
ただ物語が救いの無い陰惨なものに取られないよう、長松に希望的観測を思わせて、出府が成功したかのように読者が想像できるようにしました。
また長松のベロ出しという献身的行動だけをクローズアップし、ウメの処刑の様子を描かないことで、主題を明文化しないで読者に伝わるようにもしました。
さらに、花和村が現在も存在すると書くことで、人格者の名主一家を失った花和村の村人が藤五郎一家を語り継いで、村を存続させたことを示唆しました。
このように作者は重要だと思われることも敢えて書かないことで、物語を短く読みやすくし、主題を際立たせ、読者の想像力を広げているのです。
このように重要なことや伝えたいことを敢えて書かないという、読者への配慮が様々に張り巡らされているのです。
この配慮により、『ベロ出しチョンマ』は短編であるのに、非常に奥深い作品になっているのです。
既述…
出府の理由…2.父親藤五郎はなぜ「出府」したのか? 6.作者はなぜ藤五郎の出府理由を書かなかったのか
出府の結果…3.父親藤五郎は将軍に会えたのか? 1.父親藤五郎は将軍に会えたのか?
主題、長松のベロ出しでウメが笑ったどうか、処刑後村はどうなったか…7.作者の伝えたかった主題
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【この章の要約】
『ベロ出しチョンマ』は細かい工夫が幾つもほどこされた作品。重複になるが再びここで書いておく。
1.村側や藤五郎の負の行動を少なく記述し、良い面を強調することで読後感をアップ。
2.主人公長松を村の代表である名主の息子と意識させないことで、読者の気持ちを長松側に誘導。庄屋という言葉を使わず名主という言葉を使うことでも、読者の気持ちを長松側に寄せている。
3.藩側の事情を描かず、役人のセリフを無機質にすることで、藩側が悪いというイメージを読者に植え付けている。
4. 藤五郎が直訴に至った理由、出府の結果、主題、長松のベロ出しでウメが笑ったかどうか、処刑後村はどうなったかなどの重要なことを明文化しないことで、文章量を削減し、主題を際立たせ、読後感をよくした上で、作品を奥深くしている。
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