★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月29日
5.村人はどんな存在か?
『ベロ出しチョンマ』作品中で、作者は登場人物の誰かを「悪い」と決めつけていません。
例えば厳しいネングの取立てをする『殿様』(藩主)を、テレビの時代劇のように
「悪い殿様」
などと名指ししていれば、
「悪い殿様の圧政に虐げられた村人達の物語」
という分かりやすい話にもなったと思われます。
しかし作者は敢えて誰かが悪いとは名指しせずに物語を構築しています。
何故でしょうか?
一体誰が悪くて、この物語は成立しているのでしょうか?
藩側、村人、藤五郎とに分けて考えてみたいと思います。
1.藩側は悪の為政者か?
(1)殿様は悪辣ではない
(2)役人は上からの命令に従っているだけ
(3)掟を破ったのは村側
物語を読んで行くと、一見藩側はとても冷酷で無慈悲な印象があります。
殿様はネングを絞りあげますし、役人達は長松達を捕まえ、磔で処刑します。
これだけ見ると、テレビなどの時代劇でお馴染みの
「人民を苛め抜く冷酷無慙な独裁者とその一味」
という感じですが、本当にそうでしょうか?
検証してみたいと思います。
(1)殿様は悪辣ではない
そもそもなぜ殿様は花和村のネングを増やしたのでしょうか?
原文を見てみます。
今年は急にネングをたくさん取られることになって、大人たちは困っているのだ。
去年も今年も洪水や地震や日照りやがあって、米も麦もロクロクとれないのに、殿様はネングを前よりもっと出せと言って来ている。
自分で食う米も麦もなくなって、どうにも出せない者がふえたから、少しでもある者からは根こそぎ持って行ってしまおうとしているのだ。 |
つまり藩側は
「2年連続で洪水や地震などの天災があり、(他の地区では)自分の食う物もなくなってネングを出せない者が増えたから、少しでも出せそうな花和村のネングを増やし、出せる物を全部持って行こう」
としているのです。
もちろん花和村までネングを出せなくなったら翌年はもっと大変なことになるので、花和村の村人にはギリギリ生きてネングを生産できるだけの食料分を残して、残りの作物は根こそぎ持って行こうと考えたのではないかと想像できます。
『今年は急にネングをたくさん取られることになって』
と書いてあるということは、昨年も天災があったにも関わらず、去年は通常のネングで済んでいたということだと思われます。
殿様からすると、
「今年はネングを出せない者が増えたから、花和村には犠牲になってもらって余分にネングを出してほしい」
ということではないでしょうか。
もし作者が
「農民を絞り上げ、殿様が豪奢な生活をしている」
とでも明記していれば、殿様はどうしようもない為政者ということになりますが、そうは書いていません。
むしろ1年前は天災があったにも関わらず花和村のネングは上げてないわけですから、鷹揚なところもあるのではないでしょうか?
1年前は藩としてもまだなんとか余裕があり、花和村の年貢を上げなくても済んだのかもしれません。
もし藩に余裕があったとしたら、殿様が悪辣な為政を行っていたのではなく、花和村が一定のネングを納め続けられるような、落ち着いた政治を行っていたと考えることもできます。
本当に悪い殿様だと、普段の年のネングも農民が生活できるギリギリにして、自分達だけは華美に暮らしたりすると考えられます。
しかし、花和村を治めていた殿様はそこまでの悪政はしていなかったと推察できるのです。
私たちはテレビの時代劇などの影響で農民は常に貧困に喘いでいたというイメージがありますが、全部が全部そうだった訳ではありません。
確かに農民の生活は楽ではなかったと思われますが、作物がしっかりできれば、結婚したり、祭りをしたり、お酒を飲んだり、普通の生活を送ることができました。
人口の8割を占める農民の暮らしが安定していたからこそ、江戸幕藩政治は200年以上続けられたのです。
花和村の村人も今まではある程度安定した生活ができており、今回それが脅かされそうなので、どうするか相談しているのです。
従って花和村の殿様は悪辣な為政者などではなく、安定した治世を続けて来た普通の殿様であったと管理人は考えています。
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(2)役人は上からの命令に従っているだけ
『ベロ出しチョンマ』において藩側の印象を悪くしているのは、藩の役人の言動です。
殿様は指示をするだけで、実際に現場に出るのは役人ですので、長松や村人から見ると憎むべき存在に見えます。
具体的な印象をお伝えするため、原文から役人の言動を引用してみます。
戸は蹴倒されて、役人がナダレこんで来た。
「名主、木本藤五郎妻ふじ、そのほう、夫藤五郎が、おそれおおくも江戸将軍家へじきそに及ぶため、出府せしこと存じおうろう!」
肥った役人が憎々しげにそう言って、六尺棒で母ちゃんの肩をグイと突いた。
(中略)※管理人注 以下は長松達を処刑する刑場の場面
棒を持った役人たちがそっちへ数人走って行き、一番えらい役人があわてて
「はじめィーッ!」
と叫んだ。
突き役が二人、ぬき身の槍を朝日に光らせながらウメのハリツケ柱のほうへノソノソと近寄って行った。
まず高いウメの胸の所で槍の穂先をぶッちがいに組み合わせた。
(中略)
長松親子が殺された刑場のあとには、小さな社が建った。役人がいくらこわしても、いつかまた建っていた。 |
確かに長松が捕まる際の役人の言動は乱暴にも見えます。
しかし罪人の家の扉を蹴破ったり、六尺棒で押さえつけるぐらいは役人の通常業務だということもできます。
また『憎々しげ』に口上を述べたと書いてありますが、憎々しく聞こえたのは捕まる側の長松達の心持のせいであり、捕まえる際のごく普通の言葉にも思えます。
役人が太っているというのは
「沢山食べて贅沢している」
というイメージをかもし出していますが、それはあくまで役人の外見であり、太っているからといって長松一家に対し特別酷い捕まえ方をしたというわけではありません。
例えば捕まえる時に、母ふじを役人達が手籠めにしたとか、長松一家全員に暴力を振るったり暴言を吐いたと書いてあれば、役人は本当に悪辣だということになりますが、明記されていないので、長松達は普通に捕まったのだと考えられます。
さらに刑場での行動も形式に従っているだけです。
社を壊し続けたのも、藩の命令で行っただけです。
このように冷静に見ると、役人は特に長松一家に対し、特別な悪行を行ってはいません。藩の命令に従って行動しているだけなのです。
役人は下級の武士です。
武士といえば軍隊です。上司の命令は絶対です。
役人達はその命令に忠実に従っただけです。
もし命令に背くと今度は自分の身が大変なことになるので、心の中では色んな思いはあったかもしれませんが、行動としてはやるべきことをやったということになると思います。
つまり役人達は藩の命令に従っただけであり、特に悪辣な行動は行っていないと言えるのです。
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(3)掟を破ったのは村側
私達は『ベロ出しチョンマ』を、作者の誘導により、無意識のうちに「長松側(村)側の視点」で読んで行きます。
確かに長松側の視点から見ると、藩は無慈悲で悪辣な為政者というイメージにも見えます。
しかし視点を為政者である藩側に変えて読んで行くと、どう感じるでしょうか?
2年連続で天災が起こり、藩の財政も大変なことになりました。
ネングを出せない者が増えて、このままでは役人に俸禄を払うこともできないかもしれません。
そこで昨年は増やさないで済んだ花和村のネングを、今年は増やすことにしました。食べられるギリギリの分だけ残して、後は全て納付するよう指示したのです。
この藩側の決定にどこか不合理があるでしょうか?
ネングの納付量の決定権は藩にあります。
今の日本の民主主義と違って、農民側には藩の決定に対する抗弁権はありません。
藩は自分達に与えられた権利に従って、ネングの納付量を決定したのです。
従ってこの決定には不合理な点はありません。
花和村は当然、藩の命令に従わなければなりません。
しかし本来藩側に立って村人達を治めないといけない名主の藤五郎が、出府のために村を出てしまいました。
掟(法律)で出府は大罪だと決まっているのにも関わらず、敢えて掟を破って村を出たのです。
掟を破ったのですから、藩は当然捕まえて処刑します。
この藩の行動にも不合理な点はありません。あくまで掟に従って行動しているだけなのです。
現在の私達は民主主義で主権は国民にあると思っていますから、
「人は平等なのだから、理不尽なことには当然抗議できる」
というような視線で『ベロ出しチョンマ』を読んでしまいます。
しかし江戸時代は民主主義ではありません。
武士が支配者として存在し、今でいう三権も武士が握っていたのです。
いくら無慈悲で理不尽な決定だと思っても、基本的に支配される側は我慢するしかないのです。
『ベロ出しチョンマ』においても、藩はあくまで自分達の権利に則って花和村のネングを増やしました。
それに対して名主藤五郎は掟を破ったのです。
『ベロ出しチョンマ』を一読すると、悪いのは無慈悲な藩のようなイメージですが、実際に掟(法律)を破ったのは藤五郎の方で、掟を破るという悪いことをした藤五郎が罰せられるのは当然なのです。
以上(1)(2)(3)で見て来たように、藩側は特別悪辣な為政を行っていた訳ではないと言ってもいいと思います。
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2.被害者としての村人
『ベロ出しチョンマ』の原文には、格別花和村が特別な圧政を受けていたとは明記されていません。
しかし読み進めると、村人は藩によってひどく虐げられているというイメージが漂って来ます。
なぜでしょうか?
まず、今年はネングを納めたら食って行けなくなると書いてあるのが大きな要因の1つです。
そこまで農民を食い物にしなくてもいいのでは、と読者は思うのです。
そのネングを多く納めないとならなくなった原因は、原文の通りです。
上記でも書かせて頂いた通り、このネングの上乗せ自体は藩にとっては当たり前の事をしただけですが、作者は藩側の事情を一切書いていないので、藩がひどい圧政を敷き、村人達はその被害者とも読めるようになっています。
また第2章から長松が妹ウメの霜焼けを取らないといけないというしょぼくれた話を書いていますので、物語の雰囲気的に明るい部分がないというのも、なんとなく村人達が虐げられているという気分を盛り上げています。
しかしよくよく考えてみると、ネングの増納は藩に決定権がある以上、仕方のないことです。
花和村の村人にとっては耐え難いことかもしれませんが、藩からすると特別に花和村を苛めている訳ではないのです。
しかし作者は意図的に藩の事情を一切書いていないので、読者はどうしても村人側の視点で読んで行くように誘導されているのです。
作者が敢えて藩の事情を書かなかったのには、文章が長くなるとか主題が薄れるなどという理由以外に、村側がひどい圧政にあっているようなイメージをつけるためだと管理人は考えています。
花和村より貧窮して、ネングを全く納入できないどころか、明日食う食料もない寒村は他にあったと思われます。原文にも
『どうにも出せない者がふえた』
と書かれてあるので、全くネングを出せない人達が結構いたのだと思われます。
花和村の村人だけが特別な被害者という訳ではないのです。
一方で、天災が見舞われたにも関わらず、村人が一所懸命働いて作物を収穫しても、僅かな食べる分以外は全てネングで出せと言われるのは、あまりに酷という気はします。
しかも武士に命令されれば、対抗手段もないというのは厳しすぎる気がします。
対抗手段がないからこそ、藤五郎は命がけで出府を試みざるをえなかったのです。
言葉を変えて言うと、長松の出府や処刑は、武士に一方的に支配され、命令に対抗する手段を何も持たない村側の悲劇ともいえるのです。
従って、もし花和村がなんの被害者かと問われたら、
「農民が武士に支配されるということの被害者」
と言うこともできるのではないでしょうか。
作者は作中で、誰かを悪いとか誰が被害者だとか特定はしませんでした。
ただ花和村の村人目線で物語を展開し、藩の事情を一切書かないことで、農民は武士に一方的に支配される被害者だということを、物語のバックボーンとして暗ににおわせていると管理人は考えています。
ただ作者のうまいところは、農民が武士支配の被害者だからといって、あからさまに
「武士支配が良くない」
という内容を明示しなかったことです。
こう書いてしまうと物語の主題がそのようにとらえられしまいます。
武士対農民という階級闘争的な意味合いすら出て来てしまうのです。
武士支配が良くないという主題であれば、作者はそう明記したと思いますが、管理人は作者が本当に伝えたかった主題は別にあったと考えています。
そこで、作者は主題をしっかり伝えるためにも、敢えて農民を武士支配の被害者と明記せず、あくまでにおわす程度にしているのです。
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3.加害者としての村人
花和村の村人達は一見何も悪いことをしていないように思えますが、実は加害者でもあります。
どんな加害者なのかを解説してみます。
(1)藤五郎に対しての加害者
(2)長松とウメに対しての加害者
(1)藤五郎に対しての加害者
藤五郎は名主ですから、村人達が藩に対する反抗策を言い始めると、当然最初は反対したと考えられます。
例えば
「今年我慢すれば来年はなんとかなるッペ」
などと言って、村人達が過激な抗議行動に走らないよう抑えにかかったと思われます。
しかし村人達は聞き入れませんでした。
それどころか、何かしらの抗議行動をしないと収まらない雰囲気にしてしまったのではないかと思われます。
もしかしたら、藩に抵抗しない藤五郎に不満を持つ村人がたきつけたのかもしれませんし、藩側のスパイが扇動工作したのかもしれません。
いずれにしても抗議行動をしないければ収まらないという雰囲気をつくってしまい、結果として藤五郎が自ら出府すために村を出ると言い出す、というところまで追い込んでしまいました。
この
「藤五郎が出府せざるをえなくなった」
ということが、村人が藤五郎に対して加害者となったことだと管理人は考えています。
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(2)長松とウメに対しての加害者
村人は一見、長松とウメの処刑にはなんの責任もないようにも思えます。
出府すると言い出したのは藤五郎でしょうし、出府に失敗したのも藤五郎のせいだからです。
しかし村人達は、長松とウメの処刑にも責任を負っています。
1つ目は(1)の通り、藤五郎を出府に出させたことです。
藤五郎には幼い子がいて、失敗すれば処刑されることは村人は分かっていたはずです。
藤五郎が自分が行くと行って譲らなかったとしても、村人は長松とウメのことを真摯に考えれば、藤五郎を行かせずに反抗行動を取りやめることもできたはずなのです。
しかし村人達は藤五郎を出府させてしまいました。
結果、藤五郎は処刑されることになりました。
何も知らない長松とウメも処刑されることになってしまいました。
もし村人が反抗行動を止め、藤五郎を出府に出させなければ、このような結果にはならなかったはずです。
藤五郎を出府に行かせてしまったことで、村人達は長松とウメに対する加害者となってしまったのです。
2つ目は、処刑の時に傍観してしまったことで、結果として加害者同様になってしまったということです。
長松一家が処刑される時、村人はどうしていたのでしょうか?
原文を引用してみます。
竹矢来の外にギッシリ詰めかけた村人たちの念仏の声がいっそう高まった。
(中略)
竹矢来の西のはしがユッサユッサと揺れはじめた。村の人たちの怒って血走った目や、ゆさぶるふしくれ立った手やが、高い長松の所からはよく見えた。
(中略)
竹矢来の外の村人は、泣きながら笑った、笑いながら泣いた。長松はベロを出したまま槍で突かれて死んだ。 |
竹矢来というのは、竹で組んだ刑場の囲いのことです。
村人達は、長松一家の処刑を竹矢来を揺らしながら見ていました。そして長松がウメに見せたひょうきんな顔で笑いながら、長松達の死を悲しんで泣いたという情景が書かれています。
要するに、村人達は長松達の処刑を黙って見ていたのです。
自分達が藤五郎を出府に行かせておいて、捕まって一家が磔にされるのを、竹矢来を揺らしながら傍観していたのです。
今の我々なら
「そりゃあんまり冷たいんじゃないの? 念仏なんか唱えてないで、この場面こそ反抗行動を起こす時なんじゃないの!?」
とつっこみを入れたくなる場面です。
鍬などの農機具を武器にして刑場に乱入することもやろうと思えばできたでしょう。
そこまでは無理でも、長松一家に対する優しい言葉や、悔恨の言葉などをかけることぐらいはできたのではないでしょうか?
ただただ竹矢来を揺らしている場合ではないのではないでしょうか?
加害者の暴力などで苦しんでいる人に対して、何もしないで傍観するのは加害者と同じ、という考え方もあります。
村人達は、処刑される長松一家を見殺しにしてしまうことで、加害者と同様になってしまったのです。
もちろん、村人が傍観したのには理由があります。
1つ目は、刑場の警備です。
恐らく武士達が刑場を物々しく警備していたでしょうから、戦闘訓練を受けていない村人達が鍬などで襲撃しても撃退された可能性が高いでしょう。
2つ目は、村人達の保身です。
元々村人達は保身もある普通の人達です。好んで戦う勇気もないし、自分から率先して出府に行く勇気もありません。
自分達に勇気がないからこそ、藤五郎が出府すると言い出したのを止めなかったのです。
できれば今まで通りの安寧な暮らしをしたいと思っているのです。
従って竹矢来の外から声をかけたりして、藩側にマークされる可能性のある行動は恐くてできないのです。
3つ目の、そして一番大きな理由は、藤五郎と村人が
「一家が処刑されても何もしないこと」
という約束を交わしていたことだと、管理人は考えています。
「長松の父親はなぜ「出府」したのか」で詳しく解説させて頂きましたが、藤五郎を含めて村人達は、事前に相当な打ち合わせをしました。
打ち合わせの結果、最も効果的で村の被害も少なくなりそうな、藤五郎が一人で出府に行くという方法が選ばれました。
当然打ち合わせの中で、藤五郎が捕まった際の対策も検討されたと思われます。
例えば藤五郎がこう言ったのではないでしょうか?
「いいか、たとえオラが捕まって一家磔になったとしても、決して反抗なんかしてはなんねェゾ。反抗したらその場でとっ捕まってしまう。それじゃ相談して、みんなが捕まらない方法を選んだ意味がなくなっちまうからナ!」
藤五郎一人の出府は、村人の損害をなるべく少なくするという意味もありました。
損害を少なくするために出府しようとしたのに、処刑場で村人が捕まってしまっては、藤五郎の出府の意味がなくなってしまいます。
そこで藤五郎は自分達が処刑されても、村人達には何もするなと強く念を押したのだと管理人は考えています。
村人達はその約束を守り、何もせず何も言わず傍観したのではないかと考えられるのです。
以上のように村人は被害者である一方加害者でもあるという、微妙な立場で描かれているのです。
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4.藤五郎の罪
(1)長松、ウメに対する罪
(2)村をまとめきれなかった罪
藤五郎は村人との相談の結果、恐らく自ら出府に行くと発議したと考えられます。
そう言わざるをえない雰囲気になってしまったのだと思われます。
その雰囲気を作ってしまったのは村人のせいでもあるのですが、では藤五郎自身にはなんの罪もないのでしょうか?
一方的な被害者なのでしょうか?
管理人は、藤五郎にも罪があるのではないかと考えています。
ここで藤五郎の罪についても考えてみたいと思います。
(1)長松、ウメに対する罪
藤五郎が背負った最も大きな罪は、何も知らない長松とウメを処刑させてしまったことです。
妻ふじも処刑されましたが、恐らくふじは事前に村人との協議に加わっていたか、または藤五郎から詳細な相談を受けていたはずなので、藤五郎と同罪とは言えないまでも一方的な被害者とは言い切れません。
藤五郎は出府を決断する際、当然自分の家族のことは相当悩んだと思われます。
出府は捕まれば一家全員磔なのですから、まさに一家の命を賭けた決断です。
何晩も眠れぬ夜を過ごしたかもしれません。
村のこと家族のこと、人格者の藤五郎は真摯に悩みぬいたのではないでしょうか。
結果、最終的に藤五郎は出府を決めました。
そしてその決断をした瞬間に、長松とウメに対する致命的な罪を自分で背負ったのです。
妻のふじは決断を聞いて、藤五郎を責めに責めたかもしれません。
なんとか子供達だけでも無事になる方法がないかと模索したはずです。
しかし藤五郎の意志は固く、他の方法も考えられなかったので、直訴が成功することを信じて承知せざるをえなかったのではないかと思われます。
この承知した時に、ふじも長松とウメに対して大きな罪を背負ったのです。
こうして藤五郎と妻ふじは、出府に行くことを決断・承知することで、長松とウメに対する加害者となってしまったのです。
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(2)村をまとめきれなかった罪
名主である藤五郎は本来、村人が藩に対する抗議行動を行おうと言い出した場合、止めさせなければなりません。
それが村の統治を任された者の責任だからです。
もしどうしても言うことを聞かない村人がいたら、藩にリークして処断してもらうぐらいの強い姿勢で統治してほしいというのが、藩の希望なのです。
従って花和村でも、村人達が藩への対抗策を口にし始めたら、本来藤五郎はきつく指導したり、藩にリークしたりすべきでした。
しかし人格者で村思いの藤五郎は、村人達の思いを汲んで村人側に立ってしまいました。
もしかしたら藩側のスパイや、藤五郎を快く思っていない村人が藩に反抗するように扇動したのかもしれません。
とにかく結果として、村人と一緒に対抗策を話し合うようになってしまったのです。
この藤五郎の、藩の望む名主とは異なる行動が、『ベロ出しチョンマ』という物語が成立してしまう大きなバックボーンになっているのです。
藤五郎が村人を強権的にまとめていれば、自分が出府することもなく、一家が磔になることもなかったのです。
村をまとめられず、村人側に立ってしまったことが悲劇の土台となっているのです。
当然藤五郎は、自分が村人側に立ってはならないことは分かっていたと思います。
しかしいくら我慢すべきと説得しても、どうしても憤懣が抑えきれない村人達の相談に乗っているうちに、村人側につかざるをえなかったのです。
藤五郎は、例えばこう考えたのもしれません。
「村人側についたということは、もう自分はただでは済まねェ。どうせただでは済まないなら、自分が出府するのが一番だ。家族には申し訳ねェが、これ以外にもう方法がねェ」
藤五郎は自分が村人側についた罪を自覚していたと考えられるのです。
自覚していたからこそ、自ら発議し、死への旅路ともいえる出府に出かけて行ったのではないでしょうか。
藤五郎が村人側についたということが一家が処刑される遠因となっており、その意味で藤五郎は自分の一家に対する加害者となってしまっているのです。
以上(1)(2)で見てきたように、藤五郎も大きな罪を背負っています。
決してただの被害者ではないのです。
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【この章の要約】
藩は特別な圧政を行っていない。掟を破ったのは村側
村人達は、作者の藩の事情を一切書かないという誘導により、武士による支配の被害者という雰囲気になっている。
村人達は、藤五郎を出府させてしまったことで、藤五郎と長松とウメに対する加害者となっている。
藤五郎は、何も知らない長松とウメを処刑させてしまうという罪と、村をまとめきれなかったという罪を背負っている。
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村人はどんな存在か?へ
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