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深読み 『ベロ出しチョンマ』!


★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月27日

3.父親藤五郎は将軍に会えたのか?

1.父親藤五郎は将軍と会えたのか?
<ポイント>
1.原文では会えたとは書かれていない
2.将軍には会えなかった
この章の要約



1.原文では会えたとは書かれていない

『ベロ出しチョンマ』の原文を注意深く読んで行っても、藤五郎が将軍に会えたとは書かれていません。

長松が
『将軍様にあったんだ!』
と心で思っていますが、これはあくまで長松の
希望的観測であり、どこにも将軍に会えたとは書かれていないのです。

原文で、会えたかどうかを判断できるのは妻ふじに対する
役人の言葉しかありません。
役人はこう言っています。

おそれおおくも江戸将軍家へじきそに(およ)ぶため、出府(しゅっぷ)せしこと(ぞん)じおうろう!』

現代語に変えると
恐れ多くも江戸将軍家へ直訴するために、出府したことを知っているはずだ!
という感じです。

ここで役人は、
出府したことを知っているかを確認しているだけで、将軍に会えたかどうかは話していません

その質問に対してふじは、『知ってました』と答えています。

妻ふじの返答も、
出府したことは知っていると言っているだけで、将軍に会えたかどうかは尋ねていません。

つまり、結局
作者は藤五郎が将軍に会えたかどうかを書いていないのです。


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2.将軍に直接会うのは至難の業

(1)将軍と江戸城外で会うのは難しい
(2)江戸城に行っても無理


原文には会えたとは書いていませんが、では実際に名主が将軍に会えるのかを考えてみたいと思います。

まずここでいう『将軍さま』ですが、江戸にいるということから
徳川将軍家ということが想像できます。

江戸時代もある程度安定し、支配体制も整った時代の話だと思われますので、将軍は江戸城
本丸御殿で執務を行っていたと思われます。


(1)将軍と江戸城外で会うのは難しい

将軍といえども当然江戸城から出ることはあると思いますが、その際は現在の政府要人と一緒で、
最高の警備体制が敷かれ、移動する際もどこに将軍がいるのか分からないようにしたと考えられます。

また江戸城のどこからいつ出るのかも、最高
機密とされていたと思われます。

長松の父親藤五郎が、江戸城の外で直訴しようと思っても、いつどこに将軍が現れるか分からず、
手の打ちようがないというのが実情ではなかったかと思われます。

さらに現在の民主主義で情報化社会の日本と違って、当時将軍というのは神様みたいな存在で、一般の農民は顔を見ることもなかったと思いますから、仮に幸運にも将軍の一行に会ったとしても、
どの人が将軍か分からなかったと思われます。

藤五郎が江戸に出た時に
たまたま将軍が庶民の前に出る催しでもあれば別ですが、そんな偶然はまずありえません。

つまり
江戸城の外で将軍と会うのは至難の業と言わざるをえません。

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(2)江戸城に行っても無理

外で会うのが無理なら、直訴状を持って、直接
江戸城に尋ねて行くのはどうでしょうか?
これなら、将軍がいれば会えそうな予感がしないでもありません。

しかし江戸城の外堀から内郭に入って将軍に拝謁するためには、まず
を通らなければなりません。

江戸城にはいくつか門がありますが、いずれも
門番がいて普通の人はまず通してもらえません。

田舎の村の
名主が尋ねて行ったところで、門番が通すはずがありません。
せいぜい直訴状を預かってもらうのが精一杯だと思われます。

しかも預かった直訴状は、幕吏によって
廃棄されたと考えられます。

当時、直訴と言って尋ねて来る人民は
沢山いたと考えられますので、いちいちそんな者の訴状を確認していたのでは、キリがありません。

まあ、せっかく江戸城まで来たのですから、受け取るだけは受け取るといった感じでしょうか。

もし何らかの事情で幕吏に破棄されず上に通されたとしても、老中や若年寄を筆頭とする
老中制で政務は行われていたので、将軍に直訴状が渡る前に、政務を取り仕切る幕僚に渡されたと考えられます。

幕僚達は直訴状を見たとしても、将軍には渡さなかったと思われます。

田舎の村の直訴状などを、いちいち将軍に渡していたらキリがありませんし、1つ渡してしまうと
次から次に依頼されかねません。

そもそも将軍は
地方行政に関わるのは仕事ではありません
地方である藩の行政は、その地区の
藩主(殿様)に任されているのです。

しかも将軍は、老中達が決めたことに対して承認したりするだけで、実務を直接取り仕切るわけではありません。

従って、直訴状が来たとしても、余程の政治的意図が働かない限り、
将軍自らが見るということはなかったと思われます。

まして、将軍を尋ねて来た田舎の一名主に
直接会うなんて事もありえません。

つまり直接江戸城に直訴状を持って行ったとしても、将軍に直接会うのはまず無理なのです。

以上(1)(2)で見て来たことから、
長松の父親藤五郎は将軍には会えなかったと考えるのが妥当だと管理人は見ています。


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【この章の要約】
原文には「将軍様に会ったんだ!」という長松の希望的観測は書いてあるが、会ったとは書かれていない。
江戸城外で将軍に出会うのは極めて難しい。
江戸城に直訴に行っても、面談までこぎつけるのはまず無理。


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