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深読み 『ベロ出しチョンマ』!


★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月27日

3.父親藤五郎は将軍に会えたのか?


主人公長松の父親木本藤五郎は、村人(むらびと)達や妻ふじとの相談の結果、長松達子供には何も告げず、命をかけて将軍に会うために出府しました。

では結果はどうだったのでしょう? 藤五郎は将軍に会えたのでしょうか?

また藤五郎は捕まって一家(はりつけ)に処される訳ですが、いつどのようにして捕まったのでしょうか?

ここではその2点を考えてみたいと思います。

その前に話をスムーズに進めるため、原文の関連部分を引用させて頂きたいと思います。

 そして何日もたったある(ばん)、表の戸がはげしくドンドン(たた)かれた。
(中略)
 戸は
蹴倒(けたお)されて、役人がナダレこんで来た。
名主(なぬし)、木本藤五郎妻(とうごろうつま)ふじ、そのほう、(おっと)藤五郎が、おそれおおくも江戸将軍家へじきそに(およ)ぶため、出府(しゅっぷ)せしこと(ぞん)じおうろう!」
 
(ふと)った役人が憎々(にくにく)しげにそう言って、六尺棒(しゃくぼう)で母ちゃんの(かた)をグイと突いた。ウメがワッと()き出し、長松は役人をにらんでやった。父ちゃんは江戸に行ったんだナ! 将軍様にあったんだ!
「知ってました。覚悟(かくご)はしてますだ。ご存分(ぞんぶん)に」

この後舞台はもう刑場に入って行きます。

1.父親藤五郎は将軍に会えたのか?

2.藤五郎はどんな捕まり方をしたのか?


この章の要約


花和村では地震があった上に、夏の干ばつや秋の台風があり、収穫が減った。
しかし、領主は通常よりも多いネングを要求して来た。

村人は名主の藤五郎と夜な夜な話し合い、旧暦の11月初頭に藤五郎が将軍に直訴するために村を出た。

藤五郎は11月初旬、藩を出たと同時に待ち伏せていた藩の役人に捕まった。
将軍に会うことはできず、直訴は失敗した。

藤五郎は藩に連れ戻され、すぐに長松達家族も捕まった。

見せしめにしたいという藩の意向により、長松一家は12月1日に公開処刑された。

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