★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月27日
2.父親藤五郎はなぜ「出府」したのか?
藤五郎が捕まれば一家が磔になると分かっていてそれでも出府したという、物語進行上非常に大きな出来事に関しても、作者は出府の理由を書いていません。
なぜ書かなかったのでしょうか?
例えば
「藤五郎は村人達といくどとなく話し合い、ついに自分がじきそに行くと言った。
幼い長松達のことを思い村人たちは止めたが、藤五郎は
『考えに考えたが、オラが行くのが一番村のためだっペ!』
と言ってどうしてもゆずらなかった。
村人たちも妻ふじも諦めるしかなかった。
行くと決まった後、藤五郎はふじと話し合い、じきそがばれるといけないので、長松たちには内緒にしておくことにした」
などと、出府理由の説明文を入れた方が分かりやすかったのではないでしょうか?
なぜこういった文章を入れなかったのでしょうか?
ここで考えてみたいと思います。
出府理由を書かなかった理由1
「文章が長くなるため」
出府の理由を書くと、その分文章が長くなります。
また詳しく書けば書くほど、文章を読むスピードが落ちてしまいます。
作者は本当に伝えたい主題を際立たせるためには、なるべく文章を少なくしテンポも速めたかったのではないかと想像できますす。
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出府理由を書かなかった理由2
「様々な思惑を書きたくなかった」
藤五郎が出府したのには、村人達の保身や思惑、藤五郎自身の様々な思い、妻ふじの思いなど、様々な人々の思惑が交錯したと考えられます。
そういった思惑をいちいち書くのは、文章が長くなる上に、藤五郎の出府には色々な背景・理由があったということを読者に伝えてしまいます。
作者としては、物語の進行上、藤五郎の出府は
「村のため」
という分かりやすい理由に収斂させたかったのではないかと思われます。
「村のために犠牲になった」
というイメージを与える方が、長松達の磔の無残さが読者の胸に迫ると考えたのではないかと想像できるのです。
しかし単純に村のためだけではなく、藤五郎本人の理由もあって出府が決まったという背景もにおわせないと、磔になるのが分かっていてまで出府したリアル感が減ってしまいます。
そこで作者は敢えて出府の理由を書かないことで、読者に「村のために」に出府したんだろうと想像させることにしたと考えられるのです。
出府した理由は村のためだと想像させながらも、それだけではない事情もあることを想像できる余地を残すことにしたのです。
そこで村人には、保身が見えるような言葉を話させ、読みようによっては単純に「村のため」だけで出府したのではなく、ちゃんと村人や妻が納得できる背景もあったと伝えたかったのではないかと管理人は考えています。
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出府理由を書かなかった理由3
「理由を固定したくなかった」
例えば出府の理由を作者が
「藤五郎は村のために出府することを決意した」
と書いてしまうと、藤五郎の出府の理由は村のためということなってしまいます。
当たり前ですが、作者が文章で明記したことは、読者はその通りに受け止めます。
しかし明記しないと、このサイトで管理人が深読みしているように、読者が様々な解釈を勝手にしてくれます。
つまり作者としては、出府の理由をわざわざ明記しなくても、大多数の読者が
「村のために出府した」
と想像してくれれば十分だと考えたのではないでしょうか。
管理人のように、「村のためだけじゃないだろう」と考える読者には、そう考えても大丈夫な余地を残しておけば、対応できます。
出府の理由を書くのは簡単ですが、書くことのメリットデメリットを秤にかけ、書かないでも「村のため」と思わせ、かつ他に理由もあるとにおわすことができるのであれば、書かないでおこうという判断に行き着いたのではないかと管理人は考えています。
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出府理由を書かなかった理由4
「主題を際立たせるため」
作者は出府理由を書こうと思えば、書けたはずです。
書いた方が読者には優しいような気もします。
しかし敢えて書かなかったのには、書くことで物語の主題が薄れることを嫌ったという理由もあったのではないかと管理人は考えています。
この『ベロ出しチョンマ』という作品は、主題を声高に主張せず、目立たない形で伝えられるよう、作者によって細心の注意を払って工夫されています。
主題を伝えるには、主題そのものを書くのが一番手っ取り早いのですが、作者はそうはせず、主題を物語の中に押し込めて伝えるようにしました。
その方が、読者の想像力を高められ、作品が奥深くなるからです。
ただ明記しないで主題を伝えるには、主題を伝えるための描写を非常に効果的にしなければなりません。
作者は、そのために文章を練りに練り、要らないと思われる文章は削りに削ったのだと思います。
その結果、藤五郎の出府理由も、削ってもなんとかなりそうということで削られたのではないかと、管理人は考えています。
実際書かなくても、『ベロ出しチョンマ』は今も読まれ続けているので、作者の判断は非常に賢明だったのではないでしょうか。
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出府の理由を書かなかった理由5
「藤五郎の人格者イメージを構築するため」
もし作者が出府した理由を文章にしてしまうと、読者に藤五郎の負のイメージを想像する余地を与えてしまいます。
具体的に書いてみますと、例えば出府の理由を
「藤五郎は村のためを思って出府した」
と明記したとしても、読者の中には
「本当に村を思うのだったら、名主なのだから、そもそも藩に反抗しないよう村人を説得するべきなんじゃないか」
「いくら村のためとは言え、家族を犠牲にするのはおかしいのではないか」
「『村のため』と言っても、本当は仕方なく泣く泣く出府したのではないか」
などと、藤五郎に負のイメージを持つ読者が出かねないのです。
「村のため」というように、出府理由を明瞭にしてしまうと、読者の中には「つっこみ」を入れてしまう人が出てしまうのです。
読者には様々な人がいて、登場人物の行動に整合性がないと「つっこみ」を入れて気持ちが離れてしまう人がいるのです。
作者としては『ベロ出しチョンマ』の物語進行において、藤五郎のイメージを高くしておく必要がありました。
なぜなら、藤五郎が人格者でないと、この物語自体が成立しないからです。
もし藤五郎が
「イヤイヤ出府する」
ような情けない名主であれば、その子長松のベロ出しも色あせてしまうのです。
もし藤五郎が捕まって処刑台に乗った時に、村人に恨み言を言うような名主だったら、そんな情けない名主の子供が本当に、親のために死を受け入れるだろうかという疑念が湧いてしまうのです。
藤五郎が人格者であるからこそ、長松は泣き言も言わずに処刑台に乗ることや、ウメに舌を出すという誇り高い行動に違和感がないのです。
そこで作者は出府の理由を書かないことにより、藤五郎の出府の理由を、読者に委ねることにしたのです。
読者が
「村のために出府した」
と思ってくれれば十分だが、他の理由もあったと想像してもらえれば、もっと良い。
なにせ出府の理由は明記していないのですから、読者が勝手に想像してくれればいいのです。
しかも出府の理由を書いていないので、読者からのつっこみもなくなり、藤五郎のイメージを下げる可能性も無くなるのです。
このように作者は、藤五郎のイメージを高くするためにも、敢えて出府の理由を書かなかったのだと考えられるのです。
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【この章の要約】
作者が藤五郎の出府理由を明記しなかった理由。
1.理由を書くと文章が長くなり、物語の進行が遅くなるため。
2.出府の理由を「村のため」に誘導するため。出府の背景に様々な思惑があったことを書きたくなかった。
3.出府の理由を「村のため」だけに固定したくなかった。
4.主題を際立たせるため。
5.藤五郎の人格者イメージを構築しておくため。
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