★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年2月22日
5.村人はどんな存在か?
1.藤五郎処刑後、村人達はどうしたか?
「悪いのは誰か」で見て来たように、村人は武士支配の被害者であると同時に、長松一家に対する加害者でもありました。
もし村人達が藩に対する反抗を諦めれば、藤五郎は出府に出る必要はありませんでした。
また例え藤五郎が自ら出府に行くと発議したとしても、それを止めてみんなで強訴や打ち壊しをすることもできたはずです。
しかし村人達は自らの保身もあり、藤五郎を出府させ、処刑場でも何もせず藤五郎を見殺しにしてしまいました。
結果、ネングの負担は変わらない上に、それまで花和村をうまく治めていた人格者の藤五郎と妻ふじ、そしてなんの罪もない長松とウメが一家全員磔にされるという救いのない終幕になってしまいました。
この無残な終局に対して、村人はどう対処したのでしょうか?
原文で確かめてみます。
長松親子が殺された刑場のあとには、小さな社が建った。役人がいくらこわしても、いつかまた建っていた。
そして命日にあたる一日には、縁日が立って「ベロ出しチョンマ」の人形が売られて、親たちは子供に買ってやった。
千葉の花和村の木本神社の縁日では、今でも、「ベロ出しチョンマ」を売っている。 |
村人達は長松一家の無残な死を悼んで、小さな社を建て続けたのです。また長松の行為を人形という形で、ずっと残し続けて行ったのです。
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2.村人達は処刑を目の当たりにして初めて、自分達の責任を痛感した
村人達は、自分達が我慢しなかったために藤五郎を出府させ、刑場でも何もせず見殺しにしました。
それにも関わらず、なぜ村人達は社を建て続け、人形を作り続けたのでしょうか? その背景には村人達のどういう思いがあったのでしょうか?
ここで考えてみたいと思います。
恐らく村人達は、藤五郎を出府に行かせた時は
「ひょっとしたら何とかなるかもしんねェ」
ぐらいの希望は持っていたと思われます。
また村内の、藤五郎を快く思っていない人や藩側のスパイの煽動もあって、
「たとえ捕まっても、殿様の言いなりで反抗もしようとしない藤五郎なんぞどうなってもいい」
というような気持も心の底に持っていたかもしれません。
人は安寧な暮らしが当たり前になると、それを誰が支えてくれているかを忘れてしまうものです。
しかもその安寧が破られたときは、その責任を誰かに押し付けたくなるものです。
『ベロ出しチョンマ』においては、人格者で村思いの名主藤五郎の村運営のおかげで花和村の安寧は保たれていました。
ところが天災が続きネングが上げられることになり、花和村の安寧が脅かされました。
そこで村人達が我慢すれば問題なかったのですが、憤懣は抑えることができなりました。結果として藤五郎が出府に行かざるをえなくなってしまいました。
その背景には、藩側のスパイや藤五郎を快く思わない村人の扇動工作があったかもしれません。
別の言い方をすると、村人達は責任を藤五郎に押し付け、藤五郎自身が言い出した一番いい方法だからと自分を納得させ、憤懣の溜飲を下げたのです。
しかし藤五郎は捕まり、何の罪もない長松やウメを含めた一家全員が磔にされることになってしまいました。
その知らせを聞いた時、そして実際に刑場で一家が引き出されるのを見た時、村人達は初めて自分達が間違ったのだと、痛切に思い知ったのではないでしょうか。
人は大切な物を失った時に、その大切さに初めて気づくものでもあります。
藤五郎という素晴らしい名主と妻ふじという仲間を失い、加えて罪のない長松とウメまで無残に処刑される姿を目の当たりにして、村人達は初めて自分達の決断の責任を痛感したのです。
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3.村人達は自分達で長松一家を悼むことを決めた
管理人が想像するに、長松一家の処刑が終わった後、村人達は寄り集まったと思われます。
その内の誰かが、例えばこのように発案したのだと想像しています。
「藤五郎一家が死んだのはオラ達のせいだッペ! そりゃ絶対に忘れちゃいけねェ。子供らにもずっとずっと語り継がなきゃなんねェ!
そこで考えたんだが、お社を建てたらいいんデねえかと思うんダ。
そんなら一家の供養にもなるし、オラ達も忘れねェからな!」
その言葉に村人の多くが賛同し、反対派を抑え込んで、例え藩に壊されても作り続けようと決めたのだと思います。
さらに誰かが例えばこう言ったのでないでしょうか。
「一家のお社を建てるのはそれでええ。
けんど、ワシらを最後に笑わしてくれた長松の姿も残してやりてェ。あんな優しい子はおらん。なんとかあの最期を伝えてェ!」
その言葉にも村人の気持が一つになり、「ベロ出しチョンマ」という人形が作られたのだろうと思うのです。
村人達は藤五郎一家が磔にされたことを悼み、悔やみ、反省し、それらを忘れないために社を建てて人形を作ったのです。
別の表現をすると、村人達は、ネング増税に対する暮らしへの不安、藤五郎への不満、自らの保身などのネガティブな感情で藤五郎を出府させました。
しかし藤五郎一家が処刑されるのを目の当たりにして、一家への愛惜、悔恨や反省、危険を冒しても社を建てるという義憤の情などのポジティブな優しく温かい感情で、一家と長松の行為を語り継いだのです。
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4.村人達は読者自身
一方で藤五郎を出府させ一家磔に追い込み、一方では長松一家を悼んで社を作り『ベロ出しチョンマ』人形を作り続けるという村人の行動は、勝手と言えば勝手ですが、非常に人らしい正邪善悪に満ちたものとも言えます。
作者はなぜ村人にこういう人らしい行動を取らせたのでしょうか?
そこには作者の重要な狙いがあったと管理人は考えています。
この『ベロ出しチョンマ』は文学作品で人を描いているので、全ての登場人物は、我々「人」の様々な面を表現しています。
文学は、人を描くものでもあるからです。
その中でも、身勝手とも言える行動を取る村人達は、私達読者自身を一番端的に表現しているのではないかと管理人は考えています。
理由をご説明させて頂きます。
『ベロ出しチョンマ』に出て来る登場人物達の中で、読者自身に一番近いのは誰でしょうか?
死ぬと分かっていて出府する藤五郎とそれを受け入れる妻ふじでしょうか?
死の間際まで妹を思いやる長松でしょうか?
純真無垢な妹ウメでしょうか?
はたまた、村人を支配する殿様や役人でしょうか?
いずれも人の姿を描いていますが、読者と距離のある存在です。
普通の人は、死ぬと分かってるのに出府はできないですし、死の間際に人を笑わせることはできません。殿様や役人はそもそも少数しかいません。
しかし、自分の不満や保身などで責任を人に押し付け、その悲惨な結果を見て、亡くなった人を悼み、忘れないようにする・・・こんな身勝手な行動を取る村人は、読者に非常に近い存在です。
人は弱く、身勝手な存在です。
自分が有利になったり助かったりするためには、他人を犠牲にすることもあります。
一方で人は、温かく優しい存在でもあります。
他人のために自分を犠牲にしたり、無残に死んだ人達を語り継いで行くことのできる存在でもあるのです。
作者は、そんな正邪両面を持つのが人という存在で、大多数の人がそういだと確信していたのだと思います。
だからこそ多数派である村人には正邪両方の行動を取らせたのです。
村人達に正邪善悪な行動を取らせることによって、読者が自分自身と同じだという共感を得られるように工夫しているのです。
別の言葉で言うと、作者は多数派の村人達を読者に一番近い存在にすることによって、作品への親和性を高めているのです。
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5.村人を描く上での作者の工夫
(1)村人のネガティブな部分を少なくして共感を得る
(2)村人に長松一家を悼ませることで、読者にも悼ませる
(1)村人のネガティブな部分を少なくして共感を得る
『ベロ出しチョンマ』で作者は、村人の保身などのネガティブな面は極力少なく書いています。
ネガティブと思われるのは、出府の前相談時に村人が言った
「それよりだれかが江戸へじきそすれば━」
という保身が感じられる一言ぐらいです。
逆に藤五郎一家が処刑された後の、村人達が長松一家を悼んだことなどのポジティブな部分は多く書いています。
また藩の事情を一切書かないことにより、村人達は何の罪も無い一方的な被害者のような雰囲気を醸し出しています。
なぜ作者は村人のネガティブな部分を書かなかったのでしょうか?
その理由は、読者と同じ存在である村人の良い面を多く書くことで、読者を村人達に共感させやすくするとという、作者の非常に繊細な工夫だと管理人は考えています。
村人のネガティブな面を多く書いてしまうと、読者は
「自分と同じ人間の身勝手な部分」
を多く感じてしまい、絶望感が醸成され、物語に共感もしにくくなってしまいます。
逆に村人のポジティブな部分を多く書くと
「自分にも長松達を悼むことができる」
などと感じ、物語を読むことで希望を持つことができ、物語に共感もしやすくなります。
読書に限らず、人はポジティブな物語の方が共感しやすいものです。
自分の醜悪さを強調される物語より、自分の持つ素晴らしさを感じさせてくれる物語の方が共感しやすいのです。
そのことを作者はよく理解していて、『ベロ出しチョンマ』において読者に最も近い存在の村人のネガティブな部分は描かなかったのです。
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(2)村人に長松一家を悼ませることで、読者にも悼ませる
作者は、村人のネガティブな部分を書かないことで読者の物語への共感を高めました。
共感を高めた上で、さらに作者はもう1つ、読者を物語の主題にに近づける工夫をしました。
それは、村人に藤五郎一家を悼ませることで、読者自身にも藤五郎を悼ませたということです。
『ベロ出しチョンマ』を読み進めて行くと、自分達が出府させた責任があるにも関わらず、村人達が藤五郎一家を悼んで行くことに違和感を感じないと思います。
前述の通り、それは作者が、長松一家処刑時に村人に哀惜させたり、処刑後社を建てたり人形を作り続けたりという、村人の優しさを発露させたり辛抱強いポジティブな行動を村人に取らせることにより、読者が村人に共感しやすくしているからです。
読者は物語を読み進めることで、
「長松一家を悼む村人達の気持ちは、自分の中にもある」
と共感し、村人達と一緒になって長松一家を悼むのです。
この
「読者も長松一家を悼む」
という読者の心情は、作者によって『ベロ出しチョンマ』という物語の主題の1つへ導かれていると管理人は考えています。
物語の最終文章で作者は、
『木本神社の縁日では、今でも「ベロ出しチョンマ」の人形を売っている』
という文章で作品を締めくくりました。
木本神社の「木本」は、藤五郎一家の苗字です。
村人達が作った社は神社となって、ベロ出しチョンマの人形と共に現在まで連綿と受け継がれているのです。
村人達は、藤五郎一家を現在も忘れず優しく悼んでいるということなのです。
そしてその村人は読者自身です。
作者は作品の最後に、読者である私達の中にもずっと一家を悼み続けるような優しい温かい気持があることを、私達自身に伝えているのです。
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【この章の要約】
村人は長松一家処刑後、一家を悼み続けた。
正邪両方の行動をとる村人は、読者自身。
作者は村人のポジティブな部分を書くことにより、読者が物語に共感しやすいように工夫している。
さらに村人が長松一家を現在まで悼み続ける姿を描くことにより、悼む気持ちは今も読者にもあると伝えている。
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