★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月30日
7.作者が伝えたかった主題
4.作者が伝えたかった教訓や希望
1.トップに言いつけるのは本来の在り方ではない
藩の花和村へのネングの増納命令に対して、なぜ名主の藤五郎は国のトップである将軍への直訴という方法を選んだのでしょう?
これは現代日本で言うと、県知事が村に増税を命令したのに対して、国のトップである内閣総理大臣に
「県知事のやり方をなんとかさせてほしい」
と言いつけに行くという感じです。
民主主義の現在の日本人から見ると、違和感のある行動だと思います。
本来県の問題は県の中で話し合って解決すべきですし、それで無理なら管轄の中央官庁や大臣に相談すべきだと考えられます。
いきなり総理大臣に行くというのは突飛ですし、言われた総理大臣としても、所轄の大臣に差し戻すしかないと思われます。
国のトップですから、自分で県知事などに県政を改めるよう指示はできないことはないでしょうが、そんな前例を作ってしまうと、同じことをする者が次々に出てしまいます。
また県知事や所轄大臣を置いている意味も無くなってしまいます。
ただ『ベロ出しチョンマ』の江戸時代は民主主義ではありません。将軍を頂点する、武士による支配制度でした。
また現在と違って政治制度の情報もオープンではなかったと思われますので、花和村の村人達は、藩が言って来たことに対抗するには、国のトップである将軍に言うしかないと考えたのだと想像できます。
しかしそれでも本来は、まずは藩のネング収納担当と話し合い、駄目なら藩主(殿様)と話し合い、それでも駄目なら幕政を取り仕切る幕僚に言うのが筋だと考えられます。
いきなりトップに言うというのは、本来の在り方ではないのです。
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2.トップに言うのはリスクを伴う
将軍に会えたかのかどうかを書かなかったのはなぜか?でも書かせて頂きましたが、管理人は
「藤五郎の直訴は将軍に会えず失敗し、ネングは減免されなかった」
と考えています。
現実的に考えるとその可能性の方が、成功より遥かに高いからです。
もし直訴が失敗したとしたら、藤五郎の行動はまるで意味がなく、一家は無駄死だったとも思われてしまいますが、実は重要な事実を村人に伝えています。
それは
「トップに直訴しようとしても悲惨な結果になることがある」
という事実です。
村人と藤五郎は散々話し合って、一番良い方法だと考えて直訴を選びました。
しかし結果は、ネングが減免されないばかりか村思いの名主一家を失うという大打撃になりました。
しかも処刑後は、藩寄りの名主がつき、村の監視も厳しくなったと考えられます。
トップへの直訴は、村人にとって良いことは何もなかったのです。
冷静に考えると、将軍に窮状を訴えられたとしても、将軍がネングの減免を藩に指示するとは限りません。
もし将軍が藩の為政を支持したとしたら、村人達はもう誰にも頼れなくなってしまい、諦めるしかなくなるのです。
つまり仮に将軍に会えたとしても、結局
「トップの判断次第」
になってしまい、そういう意味でもトップへの言いつけはリスクを伴うのです。
このように作者は、トップに言いつけに行った藤五郎が失敗する姿を描くことで、トップへ言う行為にはリスクもあることを読者に伝えていると考えられるのです。
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3.誰かに頼るという行為自体がダメという教訓
例えば作者が物語の中で直訴が成功したことを
「藤五郎の直訴は成功し、将軍のお達しにより、藩は花和村へのネングの増納を取り下げた」
などと明記したとしたら、読者はどんな感想を持つでしょうか?
もしかしたら読者の中には、
「人からしんどいことを押し付けられたら、その人よりもっと上の人に言って、取り消してもらえばいい」
と読み取る人も出て来る可能性が出て来ます。
『ベロ出しチョンマ』は子供も読める作品です。
藤五郎の出府が成功したと明記すると、子供達は現実生活で何か辛いことがあった時に、
「権力を持ったトップに言いつけて直してもらえばいい」
と考えてしまう可能性が出て来てしまうのです。
副主題でも解説させて頂いた通り、作者は『ベロ出しチョンマ』を通して
「人は自分で自分を変えられる」
というメッセージを伝えたかったと、管理人は考えています。
しかし、直訴が成功したと明記してしまうと、
「不幸な状況になっても、誰かに言いつけて変えてもらえば良い。自分達は変わる必要はない」
と読者に受け取られかねないのです。
そこで作者は、直訴が成功したと明記せず、藤五郎一家が一見なんの意味もないまま処刑される様子を描くことで、
「そもそも人に頼ること自体が駄目なんだ」
と読者に伝えているのです。
同じことをなぜ直訴が「成功した」と書かなかったか?でも解説させて頂いております。
まとめます。
村人達は、自分達の窮状を打破するために、自分達自身が変わるのではなく、国の最高トップである将軍に頼ろうとしました。
さらに自分達の保身から、藤五郎にも頼りました。
このように2重に頼ることで、自分達が変わることなく、自分達の窮状を変えてもらおうとしたのです。
しかしその結果、藤五郎一家は全員処刑。花和村は藩によって一層締め付けられることになってしまったのです。
作者はそんな花和村の姿を描くことで、
「誰かに頼って境遇を変えてもらおうとするのは駄目だ。自ら変わることでしか、境遇を変えることはできない」
という教訓を、読者に伝えているのです。
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【この章の要約】
藤五郎がトップに直訴に行くという行動自体が、本来のあり方ではない。
またトップに言いつけに行くのは結局トップの判断次第になるので、リスクが高い。
そもそも自分達の窮状を人に頼ってなんとかしてもらおうという行為自体がダメ。
自分達が変わらないと状況は変わらない。
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7.作者が伝えたかった主題へ
4.作者が伝えたかった教訓や希望へ
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