★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月30日
7.作者が伝えたかった主題
4.作者が伝えたかった教訓や希望
1.村人達は藤五郎を頼った
村人はどんな存在かでも書かせて頂いた通り、藤五郎を出府に行かせたのには、村人にも大きな責任があります。
父親藤五郎はなぜ「出府」したのかでも書かせて頂いた通り、藩がネングの増納を決めてから、村人達は連日連夜、名主藤五郎の家に集まり、対策を話し合いました。
その結果、最も効果的で且つ村人の被害も少ない方法として、藤五郎が直訴のために出府することになりました。
出府に行くということは、村人達の気持を忖度して人格者の藤五郎自身が言い出した可能性が高いと管理人は考えています。
その決断の裏には、村人の保身がありました。また藩の言いなりに思える藤五郎に対する怒りもあったかもしれませんし、藤五郎を快く思わない者や藩のスパイが扇動したのかもしれません。
いずれにしても、例えば
「名主の藤五郎が言い出したことだし、ひょっとしたら何とかなるかもしれねェ」
などと村人は自分を納得させ、藤五郎を出府させることで怒りの溜飲を下げたのは間違いないと思われます。
村人達は藤五郎が自分が行くと言ったことを良いことに、自分達の保身から、藩に反抗することの自分達の責任を取ることを回避したのです。
言葉を変えて言うと、村人達は藤五郎に頼ることで藤五郎に責任を押し付けたのです。
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2.藤五郎は責任を取らされた
藤五郎は捕まり、一家全員処刑という無残な結果になってしまいました。
もちろん村人達は、事前相談の中で
「出府は重罪で、捕まれば一家磔」
ということは分かっていたはずです。
しかし藤五郎に出府を頼む段階では、その一家磔ということが実感として想像できていなかったのだと考えられます。
「磔」という処刑方法はぼんやりとしたイメージとしてはあっても、それが実際に自分達の目の前で行われるということまでは、想像できなかったのだと考えられます。
ところが藤五郎は現実に捕まり、目の前の刑場に引き出されて来ました。
それだけではなく、妻ふじ、何の罪もない長松とウメまで磔台に縛り付けられてしまいました。
しかも藤五郎達は、出府に責任のある村人達を責める訳ではありません。
長松も妹のためにベロを出して死に、恐らく他の家族も静かに処刑されたと想像できます。
そんな一家の姿を目の当たりにして村人達は初めて、自分達の責任を痛感したのだと思います。
そして例えば、
「もし自分達が怒りをおさめていれば、こんなことにはならなかった!」
「藤五郎が出府すると言った時に、どんなことをしても止めていれば、一家全員処刑などにはならなかった!」
「自分達が、自分可愛さに藤五郎に頼んだ結果、村思いの名主一家が処刑されてしまった!」
などといった痛切な反省が胸に去来したのだと想像できます。
しかし反省しても、もう遅いのです。
一家は処刑されてしまったのですから、取り返しがつかないのです。
人に何かを頼むのは難しくはありませんが、その結果に思いをはせていないと、取り返しのつかない結果になることがあるのです。
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3.人に頼るには責任が伴うという教訓
村人達は、藤五郎一家の処刑を目の当たりにして、痛切な反省をして、藤五郎に頼った自分達の責任を痛感しました。
その反省と責任感と、一家への哀悼の思いが、一家の社を建てたりベロ出しチョンマの人形を作り続けることにつながっているのです。
村人達が藤五郎一家を失って学んだのは、
「頼むときに相手のことも本当によくよく考えないと、取り返しのつかないことになる。頼む方にも大きな責任がある」
という教訓でした。
恐らく村人達は藤五郎の処刑を教訓にして、その後は安易に人に頼らず自分達の力で、花和村を現存させたのです。
作者は、村人が藤五郎に頼り、取り返しのつかない結果になってしまったことを描くことで、
「人に頼るのには責任がともなう」
という教訓を読者に伝えているのです。
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【この章の要約】
村人達は自分達の保身もあり、藤五郎を出府させることで藩への反抗の責任を押し付けた。
藤五郎の処刑を目の当たりにして、村人達は反省し自分達の責任を痛感した。
それを忘れないようにするため、自分達の力で花和村を現存させた。
村人の姿から、人に頼るには責任を伴うという教訓を作者は伝えている。
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