★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月30日
7.作者が伝えたかった主題
3.作者の伝えたかった主題
1.村人は読者自身
『ベロ出しチョンマ』の主題が
「人間は素晴らしい」
ということだと考えると、「第5章.村人はどんな存在か?」でも書かせて頂いた、村人は重要な意味を持ちます。
作者は、村人の保身など人のネガティブな部分はほとんど書かず、社を建て続けたり、ベロ出しチョンマ人形を作るなどのポジティブで良い部分をピックアップして書いています。
藤五郎を出府させ処刑の原因を作ったのは村人とも言えるのに、そのようにとれる文章は明記しませんでした。
ただ
「それよりだれかが江戸へじきそすれば━」
という一言で、村人にも保身があることを匂わした程度でした。
しかしその一言は、村人には正邪善悪があることを示しているのです。
そして「村人は誰か?」で解説させて頂いた通り、正邪善悪を持つ存在として書かれている村人は、読者自身です。
作者は、村人を正邪善悪を持つ最も身近な存在として描くことで、読者と村人を同一化したのです。
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2.村人を肯定することで読者を肯定
そんな村人が、生来の優しさを発揮して長松一家を悼む姿を描くことで、作者は
「村人も素晴らしい存在」
と肯定しています。
そして、その村人は読者自身です。
つまり、作者は村人を素晴らしい存在と描くことで、読者も同じ人として素晴らしいと存在だと肯定しているのです。
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3.『ベロ出しチョンマ』で管理人が胸を打たれたところ
『ベロ出しチョンマ』を最初に読んだとき、管理人は感動で涙しました。
なぜ感動したのかその時は分からなかったのですが、こうやって深読みすると分かって来ました。
物語は一見陰惨です。救いのない終わり方に見えます。
しかし作者は、
「人は死の直前でも無私の優しさを発揮できる素晴らしい存在だ!」
と、長松の姿を通して読者に伝えています。
さらに、読者と同一存在である村人達のポジティブな姿を描くことで、
「読者であるあなたも優しさを持つ素晴らしい存在なのだ!」
と肯定してくれているのです。
あなたも素晴らしい存在なんだよ! とエールを送ってくれているのです。
このエールに心打たれ、管理人は涙したのです。
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4.辛い現実を生きる読者へのエール
現実はカオスに満ち満ちています。
正しいことだけで生きて行くのは難しいですし、人による理不尽な仕打ちや、不運としかいいようのないことに遭うこともしばしばです。
精神的・肉体的にひどく疲れたり、うまく行かないことばかりで嫌になったり、不運を嘆いたり、人に恨みを持つこともよくあります。
生きるのは辛いことが多いのです。
そんな現実の中で、作者斎藤隆介は『ベロ出しチョンマ』を書きました。
斎藤隆介も現実の厳しさはよく分かっていたと思います。
分かっていたからこそ、長松には
「全く非がないのに処刑される」
という、極めて厳しい試練を与えたのです。
現実でも、非が無いのに責められるということはありますが、長松ほど過酷ではありません。
しかし長松は、自分が死に瀕しているにも関わらず、しかもなんの見返りも無いのに、優しいのです!
現実世界は辛いことや疲れることばかり。
生きたいようにはなかなか生きられません。
足を引っ張る人も一杯で、うんざりです。
生きるのがしんどくなることも多いです。
しかし、それでも人は素晴らしい存在。
長松のように死に瀕しても優しさを発揮できる、本当に価値のある素晴らしい存在なんだ!
読者は、この作者の人(読者)への温かい思いに胸打たれるのです。
普段は誰も面と向かって言ってはくれませんが、作者はこの物語を通じて、
「あなたも生来の優しさを持つ素晴らしい存在なんだ!」
と熱いエールを送ってくれているのです。
そのエールが胸の奥底に届き、読者は生きることを肯定され、大きな感動を得るのです。
作品『ベロ出しチョンマ』は、一見陰惨で救いのない話ですが、作者は登場人物や読者を含めた全ての人を肯定し、素晴らしいとエールを送ってくれている作品なのです。
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【この章の要約】
村人は読者自身と同一。作者は村人のポジティブな姿を描くことで、読者に
「あなたも素晴らしい存在だ」
とエールを送っている。
辛い現実を生きる読者は、そのエールで大きな感動を得る。
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