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深読み 『ベロ出しチョンマ』!


★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年4月4日

12.作品集『ベロ出しチョンマ』が読まれ続ける理由

読まれ続けている理由
<ポイント>
1.普遍性があるから
2.創作民話だから
3.滝平次郎の画
4.見事な構成
この章の要約


作品集『ベロ出しチョンマ』は管理人の持っている2000年に2冊に分割された愛蔵版でも19刷、その前のオリジナルの愛蔵版がなんと103刷!!  さらにフォア文庫版が40刷ですから、恐ろしいぐらいのロングセラーです。

半世紀以上前の
1967年に発刊さえた作品集が、一体なぜこれだけ長期間読まれ続けているのでしょうか?

どんな魅力があるのでしょうか?

最大の魅力は、収められた作品群がそれぞれ
クオリティが高いということだと思いますが、それ以外の長く読み継がれる理由を考えてみたいと思います。


1.普遍性がある

管理人は読み継がれる理由には普遍性があるからだと考えていますが、そのご説明の前に、まず「普遍性」の意味を確認しておきます。

普遍性というのは、広辞苑第六版によると
『@全てのものに通ずる性質。
Aすべての場合にあてはまる可能性。一般性。』
ということです。

ここで管理人が使う普遍性とは、本来の意味から少し飛躍しますが、
時代が移っても変わらない、人に訴える力
という意味で使わせて頂こうと思います。

さて、「作品集『ベロ出しチョンマ』で作者が伝えたかったこと」で解説させて頂いた通り、作品集『ベロ出しチョンマ』で作者が伝えたかった事は、

「世の中には良い人もいれば悪い人もいる。強い人も弱い人もいる。良いことも悪いことも起こる。それが現実なので、その中で生きて行くしかない。

しかも、何の我慢も辛抱も努力もしないで幸せになれるほど世の中は甘くない。

ただ、誰かを責めたり境遇を恨んだりせず、我慢や辛抱や努力を続けて自分が変われば、花が咲くこともある。山だって動かせる。優しさは、ずっと人の中に生き続けることもある。

そんな力を持つ
人は本来素晴らしい存在だから、優しくして花を咲かせたり、我慢や辛抱して山を動かせるような人間なってほしい」

という
人への期待とエールだったと管理人は考えています。

『ベロ出しチョンマ』の書かれた時代」でも書かせて頂きましたが、作品集の主題が人への期待とエールになったのには、第二次世界大戦という人同士の
大惨禍があったにも関わらず、核戦争のリアリティは高く、公害も各地で起こり、国内では学生運動で争い続けているという、相変わらず人が人を傷めつけているという当時の現実が背景にありました。


ではそれから半世紀以上経った、今私達が生きている
現在はどうでしょうか?

人が人を傷めつけるという状況は変わっているのでしょうか?

残念ながら、その状況は現在も
全く変わりありません

核の脅威は相変わらずですし、世界各地で
紛争やテロが絶えません。

公害はなくなっていませんし、むしろ温暖化などの
地球的環境危機も進んでいます。

人は
相変わらず人同士で傷めつけ合い、自分達で環境を破壊し苦しんでいるのです。

もっと言うと、人が人を傷めつけるという行為は、
太古から永遠と繰り返されています。

世界史や日本史を見ても、
歴史というのは人と人が争った足跡だと言って良いぐらい、休みなく紛争を続けています。

また地球に対しても、人は多くの
動植物を絶滅させ、特に産業革命以降は地球環境に甚大な悪影響を与え、自らを苦しめているのです。

そして、人は
これからも人同士で争い、地球を傷め続けて行くと想像できます。

人は
昔も今も変わらないのです。
そして
これからも変わらないと管理人は考えています。

こう考えて来ると、作品集『ベロ出しチョンマ』で作者が当時人に送ったエールと期待は、これからも
ずっと同じ意義を持ち続けて行くということになります。

つまり、
作者のエールと期待には普遍性があるのです。

この作品集の持つ普遍性が、今も読まれ続けている大きな理由だと管理人は考えています。

人の所業は、過去も現在も未来も変わらない。

変わらないからこそ、作者のエールと期待は普遍性を持ち、
ずっと読者の心に響き続けて行くのだろうと、管理人は考えています。


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2.創作民話だから

文学作品には、書かれた時の風俗や思想、目標や課題をふんだんに取り入れた作品があります。

そういった作品は
現在性が高いので、書かれた当時は非常に沢山読まれたりします。

しかし時代が移り、風俗も思想も変わり、目標も課題も変わると、
過去の話ということで読まれなくなってしまいます。

では作品集『ベロ出しチョンマ』はどうでしょうか?

作品『ベロ出しチョンマ』を始め、収められている作品のほとんどが
創作民話です。

時代のはっきりしない話も多いのですが、元々
読者が知らない時代の古い話ばかりです。

古い話というのは元々古いのですから、出版された時代が過ぎ去っても、
色褪せることがありません

確かに年月は過ぎて行くので、
例えば江戸時代はどんどん昔になって行くのですが、そもそも江戸時代に生きてた人はもういない訳ですから、どんどん昔になって行っても、読者の
「自分達の知らない昔の話だ」
という
イメージは変わらないのです。

一言でいうと創作民話というのは、なかなか
古びないのです。

この古びて行かないということが、『ベロ出しチョンマ』が現在も読まれ続けている理由の1つだと、管理人は考えています。

もし作者斉藤隆介が、創作民話という形を借りて執筆当時の思想や目標や課題を色濃く入れていたら、作品集は古びていたかもしれませんが、前項の通り作品集で訴えたいことも
普遍性を持っているため、ますます古びて行かないのです。


作品集『ベロ出しチョンマ』は、創作民話という元々古びにくい作風の上に、訴えている主題も普遍性があるので、
今も読者を獲得し続けているのだと、管理人は考えています。


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3.滝平次郎(たきだいらじろう)()

作品集『ベロ出しチョンマ』の画は、木版画家・切り絵作家として大活躍した滝平次郎です。

木版も切り絵も、
非常に手間のかかる芸術手法だと管理人は考えています。

その滝平次郎の木版画や切絵が、作品集『ベロ出しチョンマ』には、惜しみなく散りばめられています。

しかも各物語の大切な場面がまざまざと心に迫って来るような、
素晴らしい画ばかりです。

恐らく滝平次郎は作者斎藤隆介の物語に込めた意図を1作1作
真摯に読み取り、効果的な画を作成したのだと思います。

子供達にも分かりやすく、大人の心にも響くように、持てる技術を
惜しみなく使って作成したのではないかと想像できます。

現在では挿画もイラストレーターに
安価で依頼したり、編集プロダクションに丸投げしたり、コンピュータグラフィックを使ったりして、コストも時間もかけないで作ることが多くなっていると思います。

しかし作品集『ベロ出しチョンマ』は木版と切り絵という、手間も時間もかかる画を丁寧に入れ込んでいます。

この画だけでも大変な
価値があると、管理人は思います。

『モチモチの木』のように、メインで
絵本ができるぐらいのクオリティです。

作品集『ベロ出しチョンマ』が今も読まれて続けているのには、そんな
芸術品ともいえる滝平次郎の画の力があるのは間違いないと、管理人は考えています。


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4.見事な構成

フォア文庫版の解説で、解説者の藤田のぼる氏は下記のように書いています。

「さて、私はこの『ベロ出しチョンマ』を読むたびに、その短篇集としての構成の見事さに感心します。」

管理人も藤田氏と同じように、『ベロ出しチョンマ』は
非常に巧みに構成された作品集だと思います。

各パートの特徴」でも見てみましたが、全体は『はじめに』『プロローグ』『大きな大きな話』『小さな小さな話』『空に書いた童話』『エピローグ』に大きく6つに分かれています。

『はじめに』は
現在の話。

『プロローグ』は、そう
遠くない昔に方言的な語りで語ることで、読者をスムーズに以後の昔話に(いざな)います。
また作者の
エールが語られます。

『大きな大きな話』は、心優しき大男などが村を救ったり、救おうとします。
人の
優しさが強調されている作品群とも言えます。

『小さな小さな話』は、人の元気さ、強さ、弱さ、したたかさ、臨機応変さなどが、
バラエティ豊かに展開されます。

『空に書いた童話』は、人以外の主人公も登場し、
一律ではない様々な話が展開されます。

この3つの
昔話のパートで、世界や人の多様さ、人の良いところや悪いところ、強さや弱さが読者に伝わります。

『エピローグ』は、
現在の話と昔話を混合して語ることで、読者をスムーズに昔話から現在へと戻します。
そして、作者の人への
希望が語られます。

藤田のぼる氏は、
『構成の見事さ』
と感心していますが、本当によく考え
工夫されていると管理人も驚きます。


しかも「『ベロ出しチョンマ』が作品集のタイトルになった理由」で解説させて頂いた通り、表題作『ベロ出しチョンマ』は、
「現在→過去→現在」
という作品集の構成を
作品中に内包しています。

人は過去からも現在も、そして未来も素晴らしい存在という作品集の主題が、
表題作に結集されているのです。

別の言葉で言うと、表題作を読めば作品集の主題が伝わり、作品集全体を読むとなお一層表題作の主題が読者に深く伝わるという、主題を伝えるための
2重構造を持っているのです。

これは本当に凄いことだと思います。

(短篇連作を除く)世にある短編集の多くは、ただ単に作品を寄せ集めたものです。

表題作は
キャッチーな作品が選ばれることが多く、作品集の主題を伝える必然から選ばれることは少ないと思います。

そもそも多くの短編集は、作者が様々な媒体に発表して作品を集めただけというもので、
作品集としての主題がないものが多いと思います。

しかし作品集『ベロ出しチョンマ』は、作品集として主題を考え、その主題が結集された作品を表題作に選ぶという、言わば作品集が1つの
小宇宙を形成しているのです。

恐らく
作者と編集者が練りに練って築き上げたのではないかと想像できます。

さらに作品の主題を滝平次郎がしっかり受け止め、作品を輝かせる画を提供したのではないかと思うのです。

この作品集としての構成の見事さが、今も
読者を惹きつけているのだと管理人は信じています。

愛蔵版は2冊に分割されたので、作品集としての構成の素晴らしさを100%味わうことはできません。

フォア文庫版は
オリジナルの構成だと思われるので、作品集としての魅力を味わい方にはフォア文庫版をお勧め致します。

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【この章の要約】
作品集『ベロ出しチョンマ』が読まれ続けている理由。

1.書かれた当時も現在も、人は争い続けており、これからも争い続けると考えられ、作品集の主題に普遍性がある。

2.創作民話というスタイルが古びにくい。

3.芸術ともいえる滝平次郎の画が素晴らしい

4.作品集の主題が、表題作の主題とも重なるという見事な二十構造。


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