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深読み 『ベロ出しチョンマ』!


★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年2月22日

9.『ベロ出しチョンマ』の位置

1.『ベロ出しチョンマ』の書かれた時代
<ポイント>
1.日本は経済が伸び、学生運動が激しく、公害も表面化した時代
2.世界は東西冷戦で、核戦争が現実味を帯びた時代
この章の要約


『ベロ出しチョンマ』が教育新聞のいつの号に載ったかは分かりませんが、フォア文庫版の解説で児童文学評論家の藤田のぼる氏が、
昭和三十六年から五年にわたって連載(れんさい)された短編童話(たんぺんどうわ)の中から抜粋(ばっすい)されて、昭和四十二年に発行された』
と書いてくださっていますので、まずその時代がどういう時代だったのかを、ごく簡単にご紹介してみたいと思います。

管理人の
知らない時代ですので、日本や世界で何が起こったのかと、どんな雰囲気の時代だったのかを想像しながらお伝えさせて頂こうと思います。


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1.日本は経済が伸び、学生運動が激しく、公害も表面化した時代

1960年(昭和35年)第2次池田内閣が「国民所得倍増計画」を発表し、有名な
「もはや戦後ではない」
という言葉が流行ったようです。

1956年(昭和31年)12月にはもう日本は
国連に加入していますので、敗戦から国際社会にも復帰し、経済も好調で、国全体が非常に前向きで伸びた時代だったのではないかと思われます。

いわゆる「高度成長時代」で、工業がどんどん伸び、モータリゼーションなども進み、日本全体の
風景が大きく変わって行った時代だとも想像できます。

大都市に
農村から人が流出し、都市の生き様と農村の生き様の差異が激しくなって行った時代だとも言えると思います。

人々は豊かになって来て、戦後の
「生きて行くだけでやっと」
という時代から、
生を楽しむ
時代へと変わり始めた時代ではなかったかと想像できます。

戦後10年以上経過していますので、だんだんと
民主主義も根を下ろし、個人が主権者だということが実感できるようになって来たのではないかと思います。

また第二次世界大戦後に華族制度という
身分制度も廃止され、経済も発展して来たので、出自に関わらず頑張れば自分もそこそこの暮らしができるというが持てるようになった時代とも想像できます。

一方で1960年(昭和35年)には、
安保闘争という学生達が参加した反政府運動が激化し、学生が反政府闘争するという血なまぐさい時代だったようです。

また
公害も各地で発生し、経済伸長に伴う負の側面も出てきた時代だと思われます。

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2.世界は東西冷戦で、核戦争が現実味を帯びた時代

1961年(昭和36年)に東ドイツがベルリンの壁を作り始めました。

世界は、アメリカとソビエト連邦の対立を中心とする
東西冷戦と呼ばれる緊張状態にありました。

また各国の
水爆や原爆の核実験も数多く行われ、核のリアリティが非常に高い時代だったと思われます。

1960年(昭和35年)にはベトナムで
ベトコンが結成され、広義のベトナム戦争が始まっています。

また1962年(昭和37年)には、キューバ危機という
核戦争が起こってもおかしくないような事態もあり、世界は非常に緊張した時代だったと思われます。


第二次世界大戦が終結してまだ十数年だったという事実もあり、再び世界を巻き込む大きな戦争が起こるということが、現在の我々よりずっとリアルに感じられたのではないかと思います。

つまり、核の脅威も身近で、世界は現在よりもずっと戦争の
緊迫感の高い時代だったと想像できます。

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【この章の要約】
『ベロ出しチョンマ』が書かれた時代、日本は高度成長で、学生運動が盛んで、公害も表面化していた。

世界では東西冷戦で、核実験も多く行われ、核戦争のリアリティが高い緊張した時代だった。


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