★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年2月22日
9.『ベロ出しチョンマ』の位置
作者斎藤隆介は
「人は素晴らしい存在だ」
という主題を持つ『ベロ出しチョンマ』を、なぜ1960年頃に書いたのでしょうか?
どういう思いがあって、作者はこの作品をこの時期の教育新聞に載せたのでしょうか?
ここでは、創作の動機や、作品の位置に迫ってみたいと思います。
この深読みの冒頭でも申し上げた通り管理人は文学研究者ではありませんので、斎藤隆介の全作品を通読している訳ではありません。
人となりを研究した訳でもありません。
斉藤隆介の対談やエッセイや評論なども読んだことはありません。
それに日本文学史に精通した者でもありませんし、創作民話を系統的に研究した者でもありません。
管理人が創作の動機や作品の位置を考えるのは、あくまで『ベロ出しチョンマ』とフォア文庫版の解説を読んで想像したものです。
ですので、これから書いて行くことは、管理人個人の勝手な想像であって、文学研究などではありません。
ただ、こんな考え方をする人もいるというだけのことです。
ですので、文学研究者からみると意味のないことです。
しかし、読書の手助けにはなるかもしれないと思い、書かせて頂くことにしました。
1.『ベロ出しチョンマ』の書かれた時代
2.『ベロ出しチョンマ』執筆の動機
3.まとめ『ベロ出しチョンマ』の位置
『ベロ出しチョンマ』が書かれた時代、日本では経済が伸び、学生運動が激化し、公害も顕在化していた。世界は東西冷戦で、核実験も多く、核戦争のリアリティが高い時代だった。
第二次世界大戦という人が人を痛めつける大惨禍を引き起こしたにも関わらず、人は争いをやめようとせず、核戦争や公害などで人自身を滅ぼしかねない状況すら作り出していた。
作者はそんな時代に敢えて
「人は素晴らしい存在だ」
という作品を書くことで、人に本来の姿であって欲しいと訴えた。
廃れ行く日本の農村文化を後世に伝えたいという意図もあって、執筆されたとも考えられる。
また、創作民話という新しい文学ジャンルの定着を目指して執筆されたとも想像できる。
『ベロ出しチョンマ』は、自然主義的なリアリズムを根に持ち、農村文化の継承を目指し、創作民話の定着も意図した、人間性希求の作品と言えるのではないか。
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