★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月30日
9.『ベロ出しチョンマ』の位置
繰り返しになりますが、管理人は文学研究者ではないので、作者斎藤隆介の書いた作品や論文、インタビュー記事を精査したわけではありません。
また斉藤隆介の人生や信条などを調べたわけでもありません。
読んだのは、フォア文庫版『ベロ出しチョンマ』の解説ぐらいです。
これから書いて行く執筆の動機も、あくまで作品集『ベロ出しチョンマ』を読んで、執筆した動機を想像したに過ぎません。
従って文学研究論文的な価値はないことをご承知おき頂きたいと思います。
創作の動機は沢山あったと思われますが、ここでは管理人が想像できる3つの理由を取り上げさせて頂きます。
1.人の素晴らしさの表出
「『ベロ出しチョンマ』の書かれた時代」でも書かせて頂いた通り、1950年代〜1960年代前半は、世界では東西冷戦の真っただ中で、核開発も盛んに行われ、ベトナム戦争などもあり、非常に「戦争」の緊張感が高い時代だったと思われます。
また国内でも、学生運動が盛んになり、若者を中心に血の気の多い時代だったと想像できます。
作者斎藤隆介は1917年生まれですので、第二次世界大戦を経験しています。
戦地には行かなかったようですが、「戦時中」を実体験しているわけです。
その戦争が終わり、日本は復興し始め、ようやく生きることを楽しめる時代になって来たのが、1950年代後半から『ベロ出しチョンマ』が発表された1960年代だと考えられます。
悲惨な戦争の傷が癒え始め、もう戦争は起こしたくないという人々も多くいたと思います。斎藤隆介もそうだったのではないかと思います。
しかし現実の世界は冷戦ですし、国内では荒っぽい学生運動が盛んで、世界大戦という人間同士の大きな殺し合いが終わったにも関わらず、人は人同士で争い傷つけあっています。
あまつさえ核爆弾という、人の存在自体を葬り去るような武器までどんどん作っているのです。
さらに公害という、経済伸長を優先させるあまり人が顧みられないという現状も顕在化して来ていました。
そんな時代に、
「人は素晴らしい存在だ」
という主題を持つ『ベロ出しチョンマ』を書いたのは、作者はどうしても
「人の素晴らしさ」
を人々に訴えたかったからだと、管理人は考えています。
世界大戦という酷い経験をしたにも関わらず、なおも人が人を痛めつける現状を目の当たりにした作者は、
「確かに人は争いをするが、本質は素晴らしい存在なんだよ!」
と知ってもらい、諦めないで人が人に優しくできる世界を皆で求めて行ってもらいたいと希望したのではないかと思うのです。
その思いを普遍性の高い創作民話『ベロ出しチョンマ』で世に問うたのではないかと管理人は考えているのです。
フォア文庫版の解説で、作者が当時の「農民運動」や「文化運動」という運動に参加したと書いてあります。
専門家ではないので、それらの運動がどういったものかは全く分かりませんが、もしかしたら人の良い部分に光を当てる活動だったのかもしれません。
また当時世界的に人間性回復運動や反戦文化が広がっていたのかもしれません。
そういう運動や文化に共鳴した部分も、執筆の動機としてあったのかもしれません。
いずれにせよ、人の素晴らしさを表出することで、人と人とが傷つけあう現状が変わってほしいと、作者が希求したのは間違いないと管理人は考えています。
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2.農村文化の継承
1950年代から60年代にかけては、商工業の飛躍的な発展による都市への人口集中、モータリゼーションの進展などによって、日本の伝統的農村が著しく衰退した時代だと言えます。
作者は第二次世界大戦末期秋田に疎開していました。そこで方言や農村文化を吸収したと思われます。
そんな作者にとって、農村が崩壊し、文化も消え去って行く姿は非常に辛く惜しいことだったと考えられます。
一方で作者は新聞記者でもあったので、事実を事実として客観的に冷静に受け止める目を持っていたとも想像できます。
その目で見ると、もう農村の衰退は避けることのできないものと思えたのではないでしょうか。
農村の文化はなんとか残したい、しかし農村の衰退は避けられそうに無い。
そう考えた時に、取れる行動は何個か考えられます。
<農村文化を残す主な方法>
(1)農村の人達自身で継承してもらう
(2)農村の文化を蒐集し、記録して残す
(3)農村文化を別の芸術などに転化して残す
(1)農村の人達自身で継承してもらう
農村文化を残す方法の1つ目は、農村の人達自身に自分達の持つ豊かな文化に気づいてもらい、自らその文化を高めて外部に発信し、自分達で守って行ってもらうということです。
これは本人達が行うので、非常に効果的な方法です。
もしかしたら、当時の「農民運動」や「文化運動」というのは、農民が自ら文化をまとめて発信する活動で、作者はその手伝いをしていたのかもしれません。
難点としては、そもそも農村が衰退して行っているのですから、いくら自ら頑張ってもいずれ担い手が減り先細りになって行くのは間違いないということです。
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(2)農村の文化を蒐集し、記録して残す
農村文化を残す方法の2つ目として、外部の専門家が農村に伝わる文化や風習、説話や方言などを蒐集し、体系化して後世に伝える活動があります。
これも、文化の価値を後世に伝えるという意味で非常に重要です。
民俗学とかの学問分野が有名です。
研究すれば、奥深く非常に面白い学問ではないでしょうか。
難点としては、学問なので万人には受けないということと、過去の文化等の体系化ですので、未来に対する提案がしにくいということでしょうか。
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(3)農村文化を別の芸術などに転化して残す
そして農村文化を残す方法の3つ目の方法として、農村文化的なものを、演劇や物語、映像や絵画などの他の芸術に転化させ、広く世の中に訴えかけて行くという方法があると思います。
農村文化そのものではなかなか人に訴えるのが難しくても、農村文化を土台にして人の目を引く芸術に転化させれば、それを観た人達が農村文化の担い手になってくれるかもしれません。
また、農村の人達自身が自分達の文化に自信を持ち、自ら文化を継承して行くかもしれません。
恐らく斉藤隆介がとったのは、この方法だと管理人は考えています。
この方法の良いところは、芸術として楽しみながら、農村の伝統文化的なものを吸収できるということです。
例え文化的に貴重なものでも、小難しい学問的な話は、一般大衆には受けません。
楽しくないと、人はわざわざ見たり聞いたり体験したりしようとは思わないのです。
そこで斎藤隆介は、農村文化や伝承を取り入れた創作民話を作り、人々の興味を引こうと考えたと想像できるのです。
難点としては、芸術自体が面白くないと伝播して行きません。
また、余りに特定の場所の話にすると、汎用性が少なくなってしまうということなどが考えられます。
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他にも農村文化の伝承には色々な方法があると思いますが、『ベロ出しチョンマ』の深読みのコーナーなので、ご紹介はこれぐらいにさせて頂きます。
作者斎藤隆介は、『ベロ出しチョンマ』を教育新聞に掲載することで、豊かな農村文化を学校教員に知ってもらい、子供達に伝え受け継いで行ってもらいたかったのではないかと管理人は考えています。
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3.創作民話というジャンルの普及
作品集『ベロ出しチョンマ』が出版されたのは、1967年(昭和42年)です。今から半世紀以上前です。
テレビアニメや絵本の影響もあって、今では創作民話は別段珍しいものではなく、主に児童書ではありますが、ジャンルとしては定着していると思います。
しかし今から半世紀前はどうだったでしょうか?
もちろんそれまでも古今の古典や民話をベースに現在風にアレンジした作品はありました。
また昔話的な雰囲気を持った子供向けの作品もありました。
ただこれらは現在、ジャンルとしてある「創作民話」というものとは違います。
古典や民話をベースを現在風にアレンジした作品の多くは、現在でいう「小説」というジャンルに属するものです。
昔を舞台とした子供向けの作品も、子供に伝えやすくするために昔話的なスタイルを取っているだけで、新しく民話を創造しようというものではありません。
創作民話は、
例えば
「十三になる正吉は、汗を手でぬぐいながら大きく息をつく。なんとか日の出に間に合った。
目の前に竜が眠るという千年沼の暗い水面が広がっている。いつもは寝坊の正吉も、今日ばかりは眠るのを我慢して、闇夜の山道を村から一時以上かけて駆け上がって来た。
前に近所の裕太から、満月の朝、日の出の瞬間に千年池に向かって願いごとを叫ぶと、竜が願いをかなえてくれるという話を聞いたのでやって来たのだ。
『隣のナギを助けてくだせェ! オラはどうなってもええダ!』
正吉は湖面に大声で叫んだ。竜は願いを叶えるのに見返りを求めるのだ。
ナギは隣の家の、同い年の幼なじみだ。
母親を早く無くして、父親と二人暮らしの正吉の家によく来て、家事を手伝ってくれる優しい子だ。
だが高熱を出してもう十日も伏せっている。お医者様でもどうしようもないらしい。』
などというように、主人公や場所に名前があり、人物造詣してあり、創作したにも関わらずいかにも言い伝えられて来たという雰囲気を築いています。
また方言的なセリフも使われ、どこかの土地で実際に伝承されて来たという雰囲気を出しています。
一方、一般的な昔話は、
例えば
「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。子供は二人ありましたが、どちらも若いうちに死んでしまい、今は二人きりなのです。
ある朝おじいさんが山に山菜を採りに行くと、年老いたたぬきが話しかけてきました。
『わしの子を預かってはくれないか? 人の子にも化けることができるから、畑の手伝いもできる。わしはこの前の山火事で怪我をして、もう長くないのだ』
おじいさんが見ると、小さなやせた子だぬきが2匹ふるえていました。
おじいさんは年老いたたぬきが哀れで、子だぬきも可哀想になり、2匹をあずかることにしました。
『ありがたい! ありがたい!』
親たぬきはそう言って霧のように消えてしまいました。
子だぬきは立ち上がって何かを叫んだと思うと、男の子と女の子に変身しました。」
などというように、時も場所も特定されず、固有名詞もなく、脈絡もあまりありません。方言的な言葉も使われていません。
同じような物語なのですが、創作民話の方がずっとリアルなのです。
文学研究者ではないので、創作民話というジャンルがいつ確立したかは分からないのですが、斉藤隆介はそれまでになかった創作民話というジャンルを定着させたかったのではないかと管理人は考えています。
フォア文庫版の冒頭には、作者の次の文章が載っています。
『はじめに
おとなになればなるほど
童話がなつかしくなる心
--そんな心の
父母たちに
若者たちに
この本をささげます。
そして、小さな人たちには、
あなたから
話してあげてください。』
この文章から、作品集『ベロ出しチョンマ』を作者は、父母や若者向けに上梓していることが分かります。
子供達には、読者である父母や若者から話してやってほしいと書いているのです。
作者は創作民話という当時としては新しいジャンルの作品集をつくり、まずは大人や若者に知ってもらいたかったのではないかと管理人は考えています。
そしてその上で、本当に伝えられて来た昔話のように。親や若者から子供に話を伝え続けて行ってもらいたかったのではないかと想像しています。
冒頭にわざわざこの文章を入れているというのは、創作民話という新しいジャンルを大人から子供に伝えて行ってほしいという、作者の並々ならぬ意欲が隠されているのではないかと考えられるのです。
作品『ベロ出しチョンマ』は、創作民話を普及させるために、作者が相当な熱意を込めて、創作技術の粋を集めて創りあげた作品だと管理人は考えています。
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【この章の要約】
『ベロ出しチョンマ』の執筆動機として管理人は3点想像している。
1.第2次世界大戦をいう惨禍を起こしたにも関わらず、相変わらず争い続ける人々に、人の素晴らしさを伝えたかった。
2.衰退する農村文化を、物語として残して行きたかった。
3.創作民話というジャンルを定着させたかった。
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