★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年4月4日
11.『ベロ出しチョンマ』が作品集のタイトルになったのはなぜか?
作品集『ベロ出しチョンマ』は、『はじめに』『プロローグ』『エピローグ』と26の作品で構成されています。
では作者斎藤隆介は、この作品集として何を伝えたかったのでしょうか?
どういう意図を持って作品を選び、『はじめに』『プロローグ』や『エピローグ』までつけたのでしょうか?
考えてみたいと思います。
1.多様なストーリー、多彩な登場人物
作品集『ベロ出しチョンマ』全体を読んで分かるのは、実にストーリが多様で、多彩な登場人物が登場するということです。
重苦しい話や悲しい話もあれば、理不尽な話もあります。
笑える話や考えさせられる話もあり、多様なストーリーが展開されます。
また、心優しき人物もいれば、強い人も弱い人も登場します。
正邪善悪を持つ人々や、献身するひばりも登場しますし、禁制の商売をする人もいます。
動物、大男や天狗なども登場します。
登場人物も多彩なのです。
このような多様なストーリーと多彩な登場人物の出る作品を、1つの作品集としてまとめた意図は何かと管理人なりに考えてみました。
「この世の中は多様で、生きている人も多様だ。いい人もいるし、悪い人もいる。強い人もいるし、弱い人もいる。良いこともあるし、悪いこともある。理不尽なこともあるし、悲しいこともある。それら全てが混在するのがこの世界だ」
という世の中の混沌を伝えるという作者の狙いがあるのではないかと考えられるのです。
言葉を変えていうと、作者は敢えて多様なストーリーで、多様な登場人物を登場させることで、この世界が多様で一律でないことを伝えたかったと、管理人は考えています。
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2.現実肯定
普通の物語や童話では、
「悪い人が、何かをきっかけに心を入れ替え、良い人になる」
「弱い人が、何かをきっかけに強くなる」
などという、人の「悪」から「善」や、「弱」から「強」などのようなポジティブな変化がよく書かれます。
また
「良いことをしたから良いことが起こり、悪いことをしたから悪いことがおこる」
「辛いことや悲しいことを我慢し糧にしたら、良いことが起こった」
といった、因果律に基づく教訓めいた話も多いです。
作品集『ベロ出しチョンマ』にも、弱い人、悪い人が沢山登場します。
辛いことや悲しいことも沢山起こります。
ただ、弱い人は弱いまま、悪い人は悪いまま、辛いことや悲しいこともそのままという作品が結構あります。
例えばこれまで深読みして来た『ベロ出しチョンマ』も、悪者の印象がある藩は、藤五郎一家を処刑した後も、村人が建てた社を壊し続けていますので、それまでと同じように村人達にネングを課し続けたと考えられます。
藩が、処刑を期に心を入れ替えたということは起こらないのです。
また「モチモチの木」の豆太も、怖いのを我慢して夜中に勇気を出して医者を呼びに行きましたが、爺様の病気が治ると元の臆病な子に戻りました。
『もんがく』のもんがく坊様は、正しい心構えと一杯の飯を音丸にくれましたが、音丸は働き口をくれた婆さまの方を慕っています。
『浪兵衛』の浪兵衛は生まれ変わっても禁制の商売を続けます。
『春の雲』の心優しきアンネ(姉)のモヨは、沢山の子供を預かって可愛がったのに、子供ごと雪崩で理不尽に押しつぶされてしまいます。
もちろん通常の物語や童話のように、何かが起こり人が良い方に変わるという作品もあるのですが、そればかりではないというのが、作品集『ベロ出しチョンマ』の特徴だと管理人は考えています。
そして、作品集を通読して管理人が強く感じるのは、作者は良い方に変わらない人間や、辛いだけの出来事を書きながらも、その人達や出来事を否定していないということです。
例えば『ベロ出しチョンマ』では藩の人達を
「無慈悲な悪役人だ」
などと否定的に書いてはいません。
『もんがく』のもんがく坊も、
「説教たれるだけの人でなし」
などと否定していません。
『春の雲』でも、モヨ達を押しつぶした雪崩自体は、特に否定的に書いていません。仕方のないこといった雰囲気なのです。
これらの「否定しない」ということから、作者が作品集で訴えたかったのは、以下のような事だったのではないかと、管理人は考えています。
「人には強い人弱い人、優しい人怖い人、正しい人悪い人と色々存在する。何かがあると良い方に変われる人もいれば、変われない人もいる。
また生きていると良いことも辛いこともある。理不尽なこともある。
それが世の中の在りようであり、人はそれを受け入れて生きて行かざるをえない。」
作者には、
「自分達に悪いことをしようとする人が悪い。過酷な厄災を起こす自然が悪い。そんなことがまかり通っている現実は良くない」
といった、現実否定ではなく、
「現実はこんなものなのだから、それを受け入れて生きて行くしかない」
という現実肯定の考え方が強くあったのだと管理人は考えています。
そういう現実肯定の考えが作品集の底に流れているので、作品に登場する様々な人物や出来事を、作者は駄目だと否定しないのです。
その現実を否定しない根本には、作者の
「人には、どんなに辛い状況でも我慢し辛抱できる力があり、自分の力で状況を変えられる素晴らしい存在だ」
という人間肯定の思想があったのだと、管理人は考えています。
作品集『ベロ出しチョンマ』は、
「良い人も悪い人もいて、強い人も弱い人もいて、良いことも悪いこともあるのがこの世の中で、その中でどう生きて行くかこそが大切なのだ」
という現実肯定を基調とした作品集だと、管理人は考えているのです。
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3.冷徹な作者
童話やエンターテイメント系の物語でよくあるのが、様々な登場人物がいていろいろな事件があるが、最後には全て解決し、皆いい人で幸せになるという大団円です。
夢物語ともいえる素晴らしい終わり方で、このような終わり方が好きな読者も多数存在します。
しかし作品集『ベロ出しチョンマ』の作品は、大団円で終わるものは少ないです。
『八郎』『三コ』は、主人公が犠牲になることで皆が助かっています。
『ベロ出しチョンマ』は、藤五郎一家が犠牲になることで花和村は永続できました。
『五郎助奉公』は、奉公ができない主人公は夜に鳴く鳥になってしまいます。
『こだま峠』は、正直者の兄も、嘘つきの弟も、優しい妹も皆いなくなります。
『春の雲』は、優しいモヨと一緒に子供達も理不尽に雪崩に飲み込まれます。
『カッパの笛』は、カッパは良い笛を失ってしまいます。
童話や昔話でよくある、
「良い人も悪い人も力を合わせたら、皆良くなった」
「善行をした人が良くなり、悪行を行った人は報いを受けた」
「頑張って努力したら報われた」
という分かりやすい話ばかりではないのです。
なぜこういった作品郡になったのでしょうか?
作者斎藤隆介にはどういった意図があったのでしょうか?
考えてみたいと思います。
意図1「人は何の努力も我慢も犠牲もなく幸せになれない」
意図2「責めたり恨んでも仕方がない」
意図3「自分が変わらなければ、何も変わらない」
意図のまとめ
意図1「人は何の努力も我慢も犠牲もなく幸せにはなれない」と伝えるため
深読みして来た作品『ベロ出しチョンマ』では、藤五郎一家の犠牲があって初めて村人は、自分達の優しさや我慢や辛抱する力を発揮して花和村を存続させたのでした。
『八郎』『三コ』は大男の献身的犠牲があって、村は救われました。
『天の笛』では、ヒバリの献身があって大地に春が来て鳥達は救われました。
逆に、『五郎助奉公』の奉公が勤まらない五郎助や、『こだま峠』の優しくても人の言うことを繰り返すことしかできなかった小玉は、救われることはないのです。
もし作者が、
「人は素晴らしい存在でみんな根本はいい人なので、信じあって協力すれば、結局はうまく行くようになっている」
という性善説とも言える楽観思想であれば、こういった作品群にはならなかったと管理人は考えています。
作者はそんな甘い考え方ではなく、
「努力したり犠牲を払って初めて、うまく行くこともある」
ぐらいな、非常にシビアな考えが根本にあったのだと考えられます。
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意図2「責めたり恨んでも仕方がない」と伝えるため
作品『ベロ出しチョンマ』では、長松、藤五郎、妻ふじ、そして村人達も、誰も責めたり恨んだりしていません。
これは奇妙といえば奇妙です。
例えば長松の立場なら、事前に何も知らされずに処刑されるのですから、両親を責めたくもなるのではないでしょうか? 恨み言の一言ぐらい言いたくなるのではないでしょうか?
藤五郎やふじの立場なら、保身により自分達一家が犠牲になる原因を作った村人達や、重税を課して来た藩を、責めたり恨みたくなるのではないでしょうか?
村人達だって、自分達に重税を課した上に藤五郎一家を処刑した藩を責めたり、恨みたくなるのではないでしょうか?
しかし長松一家も村人達も、誰も責めたり恨んだりしません。
あるいは物語に登場していない人物は、誰かを責めたり境遇を恨んだりしたしたかもしれませんが、作者は明記していません。
他の作品でも、登場人物達は誰かを責めたり恨んだりしません。
『なんむ一病息災』で、青い鬼が胸に取り付き病弱になった与茂平は誰も責めたり恨んだりせず、弱いながらに工夫を重ねて一生を送りました。
『カッパの笛』の村人達は、田を荒らす河童を責めたり恨んだりしていません。
『天狗笑い』の留吉は、辛くあたるママ母を責めたり恨んだりしません。
『エピローグ トキ』のトキ婆は、自分の容姿のことで親を恨んだり誰かを責めたりしません。
また『八郎』『三コ』『天の笛』『春の雲』に出て来る過酷な自然厄災に対しても、登場人物達は嘆いたり恨んだりしません。
逆に『毎日正月』で村人を責めた甚助は、娘ハナの優しい心に膝を折ります。
『こだま峠』の弟を責めた太郎ッ平は、弟と妹と共に谷に消えてしまいます。
このように作者は意図的に、誰かを責めたり、自分の置かれた状況を恨んだりする描写を少なくし、そういった行為は良いことがないことと表現してるのです。
これは作者が、「責める」「恨む」といった行為を読者にしてほしくないと伝えるためだと管理人は考えています。
現実世界では、誰かを責めることはよくあります。
境遇を恨むことも多いです。
しかし誰かを責めたり境遇を恨んでみても、状況は大抵良くなりません。
むしろ争いの種になることがほとんどです。
どう見ても相手に過失があった場合は、相手を責めると状況が良くなることはあります。
しかしそれは稀で、むしろ責められた相手が自分を責めて来ることの方が多いです。
特に政治や宗教のように互いに信念がある場合は、どちらも自分が正しいと思っているので、責め合うと争いにしかなりません。
地区対地区、会社対会社、国対国のように、互いに集団の場合も、どちらも簡単に引けないので、責め合うと争うしかなくなります。
このように、誰かを責めるのは争いを生む元なのです。
恨むのも同じで、誰かを恨んだ場合、恨んだ方も恨まれた方も相手と仲良くしようなどと思いません。
生まれた境遇や自然災害などは、恨むだけ無駄です。
さらに恨み言は、聞かされる人がげんなりしてしまいます。あまり繰り返すと、離れて行ってしまいます。
このように、恨みも争いの元である上に、得るものがないのです。
作品集『ベロ出しチョンマ』が出版された当時、現実世界では第二次世界大戦という大悲劇を経験したにも関わらず、あいかわらず国同士でいがみあい、国内では学生が政府を責めたりして同じ国民同士でさえ傷つけ合っていました。
そんな現実を見た作者斎藤隆介は、争いの元である「責める、恨む」という行為を、読者にはしてほしくないという希望をこめて作品集を編んだのだと考えられます。
ただ作者は、責めたり恨んだりしないでひたすら我慢しろ、と伝えたかった訳ではありません。
『ベロ出しチョンマ』では、藩の為政に対して直訴を試み、名主一家全員処刑という悲劇を糧にして、村人達は花和村を存続させています。
『八郎』『三コ』『東・太郎と西・次郎』『一の字鬼』では、登場人物達自身が自然を変えることで村は救われています。
『天の笛』『ひばりの矢』『白い花』では、主人公や仲間が、自然や敵に戦いを挑んでいます。
このように作品集『ベロ出しチョンマ』の作品は、ただ耐えるだけではなく、自分達の知恵と勇気と工夫で、時には命をかけてでも相手に戦いを挑んだり、境遇を変える工夫をしろと伝えているのです。
人は弱いので、相手を責めたり境遇を恨んだりしがちです。
しかしそんなことをしても、争いの種を生むだけで、良いことがない。
むしろ、自分達で考え工夫したり時には戦ったりして、境遇を変えようとすべきだ。
誰かに助けてもらうのではなく、自分達で抗うのだという、作者の人間に対する厳しいともいえる期待が、各物語を通して伝えられていると、管理人は考えています。
その裏には、作者は人間には抗う力があるという大きな信頼も秘められているとも考えられるのです。
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意図3「自分か変わらなければ、何も変わらない」と伝えるため
作品『ベロ出しチョンマ』では、藤五郎一家が処刑されても藩の施政は変わらなかったと考えられます。むしろ藩寄りの名主を据えて、一層厳しい為政を敷いたと想像できます。
また処刑の後も、天災が起こったり、村の若人が徴兵でいなくなったり、などと恐らく花和村には様々な厄災が降りかかったと考えられます。
しかし村人達はそれらを乗り越え、花和村を現在まで存続させたのでした。
処刑前は、ネングの増納を求められて溜息ばかりをついていた村人達は、名主一家の処刑を機に、自分達が変わり数々の災難を乗り越えたのでした。
『なんむ一病息災』の胸を病んだ与茂平は、弱い自分を受け入れ長生きしました。
『ひばりの矢』の、黒雲に卵を踏みつけられたひばり達は、自分達が黒雲に矢を射掛けることで、黒雲を追い払いました。
昔話の花咲かじいさんのように、犬に優しくしたら、自分達は何も変わらないのに犬の力で幸せが舞い込んで来るというような幸運話を、斉藤隆介は作品集には入れませんでした。
「与えられた境遇がどうであれ、自分達が変われば状況は変わる」
という話が作品集『ベロ出しチョンマ』では多いのです。
その背景には、作者の
「人は、自分や状況を変える力を持っている素晴らしい存在だ」
という人間肯定の思想があると管理人は考えています。
また、教育新聞に掲載された作品ですので、その人間肯定の思想を、先生を通して子供達にも伝えたいという意図があったのではないかと考えられるのです。
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意図のまとめ
作者の意図をまとめてみます。
作者は、
「人間は与えられた境遇の中で、状況を変え、幸せをつかむ力を持っている。
しかし、なんの努力も我慢も犠牲もなく、幸せを得られるわけではない。
相手や境遇を責めたり、恨んだりしても仕方がない。
自分が変わらなければ幸せはつかめない。そして人は自分自身を変える力を持っている。」
という、冷徹ともいえる考えを、作品集で伝えたかったのではないかと考えられます。
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4.作品集で作者が伝えたかったこと
作品集の意図を探る上で重要なヒントになりそうな文章が、プロローグとエピローグにあるので、それぞれ引用してみます。
1.プロローグとエピローグの原文
2.プロローグ 花咲き山
3.エピローグ トキ
4.プロローグとエピローグのまとめ
1.プロローグとエピローグの原文
まず『プロローグ 花咲き山』です。
(前略)
この花咲き山一めんの花は、みんなこうして咲いたんだ。つらいのをしんぼうして、自分のやりたいことをやらないで、涙をいっぱいためてしんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、こうして花になって咲き出すのだ。
(中略)
やさしいことをすれば花が咲く。命をかけてすれば山が生まれる。
うそではない。本当のことだ……。
(後略) |
次に『エピローグ トキ』です。
(前略)
その代りには、トキは畑を打ちながら他人の事を考えている。トキの家には毎晩いろんな村の人びとが来る。(中略)用のない若い衆も何となく遊びにくる。
トキは若い時からいじめられ、恥かしめられ、苦労をした。だからトキは無口だが親身になって聞いてくれる。うまい考えは出せなくても、一緒になってウンウン唸って当人より考えこみ、時には一緒になって泪をこぼしてくれる。
(中略)
トキはみんなにやさしくて、みんなもトキをなつかしがって、それから何十年も何百年も生きた。ひょっとすると今でもどこかで生きているかもしれない。
*
あと十八年たって七十になったら、澄枝さんもこんなお婆さんになるのではあるまいか。なってほしいと私は思う。私は男だが、トキのようなお爺さんになりたい。 |
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2.プロローグ 花咲き山
ここまで解説させて頂いた通り、作品集『ベロ出しチョンマ』は、
「この世の中は良い人間も悪い人間もいる。良いことも悪いことも起きる。一律ではない」
「良い人間も悪い人間いて、良いことも悪いことも起きるが、そんな現実を受け入れて生きていくしかない」
「幸せに生きて行くためには、努力や我慢や辛抱が必要だ。そのためには、自分が変わらなければならない」
といったことを、作品群を通して作者は訴えていると管理人は考えています。
そんな作品群の訴えを簡潔にまとめた言葉が、プロローグの
『つらいのをしんぼうして、自分のやりたいことをやらないで、涙をいっぱいためてしんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、こうして花になって咲き出すのだ。
(中略)
やさしいことをすれば花が咲く。命をかけてすれば山が生まれる。』
という言葉だと考えています。
現実に生きていると、良い人悪い人、強い人弱い人などいろんな人がいて、天災や人災などさまざまな辛いことが起こります。
しかしそれらに対して、我慢や辛抱して自分達が変わり人に優しくすれば、ようやく花が咲くと、このプロローグは伝えているのです。
そして努力や我慢や辛抱を継続すれば、いつか山が生まれるとも伝えてくれているのです。
このプロローグは、
「人は、花を咲かせ山を作る力がある素晴らしい存在だ」
という、作者の人へのエールだと管理人には思えるのです。
ちなみにこのプロローグは、『花さき山』という単独の絵本にもなっています。非常にクオリティの高い文章だと言えます。
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3.エピローグ トキ
エピローグではこのように書いています。
『トキはみんなにやさしくて、みんなもトキをなつかしがって、それから何十年も何百年も生きた。ひょっとすると今でもどこかで生きているかもしれない。
*
あと十八年たって七十になったら、澄枝さんもこんなお婆さんになるのではあるまいか。なってほしいと私は思う。私は男だが、トキのようなお爺さんになりたい。』
ここでいう『トキ』とはなんなのでしょうか?
本文をそのまま読むと、
「いつか鳥のトキのように美しくなると言われていた、容姿がイマイチだが心根が優しく働き者の女性」
ということになります。
ただ、作者はこの『トキ』のことをエピローグの冒頭で『夢の鳥』と書いていますので、作者の思う理想像だと考えられます。
そして『私の胸の原形のトキ』と書かれているのが、作者の分身が恋した『澄枝さん』です。
では、この『澄枝さん』とは何でしょうか?
『澄江さん』は作者の分身『私』が足の平がこげるような激しい恋をしたにもかかわらず、知らない相手と結婚して会津若松に行って、肉屋になって7人も子供を産みます。
まあなんていうか、見事なふられっぷりですね(笑)
この『澄枝さん』は妹と共に、非常にリアルな存在です。
本当に実在するような現実的存在です。
現実的存在ということから想起して、
『澄枝さん』は「人そのもの」を表している
のではないかと管理人は考えています。
お婆さんのトキは『夢の鳥』で理想像。
『澄枝さん』は、『原形の鳥』で現実の人だと思うのです。
そう考えると、作者の書いていることが分かりやすくなります。
作者は、『澄枝さん』である「人」に激しい片思いをしました。
作者は人に対し、物語作品や自分の行動を通して様々な訴えを行い、振り向いてもらおうとします。
しかし人は作者を顧みず、相変わらずお互いを傷め合い、核開発や公害で自分達自身を苦しめているのです。
作者自身も他の女と同棲し、一見、人である『澄枝さん』を諦めたようにも見えます。
ところが作者は人への恋を諦めていないのです。
人である『澄枝さん』が、『夢の鳥』で理想像であるお婆さんのトキに『なるのではあるまいか』と期待を込めているのです。
容姿が悪いというだけで、理不尽に苛められはずかしめられ結婚もできなかったのに、困っている人の話を聞いて、一緒に考え、一緒に涙し、みんなに優しいトキのように人(『澄枝さん』)はなれると信じているのです。
しかもその優しさは、何十年も何百年も人々の中に生き続けることもあると確信しているのです。
だからこそ、人である『澄枝さん』には、理想の姿である婆のトキのようになってもらいたいし、自分もそうなりたいと書いているのです。
そして、人の中にはもちろん読者も含まれています。
作者はこのエピローグで、人である読者にも優しい人になってほしいと希望を託しているのです。
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4.プロローグとエピローグのまとめ
プロローグは
「辛いのを辛抱して、やりたいことを我慢し、優しくすると花が咲く。
そして命をかけて頑張れば、山を生むことができる。人にはその力がある」
というエールだと考えています。
エピローグは
「困っている人の話を聞いたり一緒に涙を流したりできる、優しい存在に人はなる力を持っている。そしてそんな優しさはずっと続けられる。人にはそうなって欲しい。そして自分もそうなりたい。」
という、読者を含む人と自分に対する希望を書いているのだと考えています。
このプロローグとエピローグの内容と前節までで解説させて頂いたことを合わせて、作品集『ベロ出しチョンマ』で、作者が伝えたかったことをまとめてみます。
「この世の中は良い人も悪い人もいる。強い人も弱い人もいる。良いことも悪いこともある。理不尽なことも起きる。一律ではない。
それが変えようのない現実なので、人はその中で生きて行くしかない。
しかも何の努力も我慢もしないで、幸せになれるほどこの世の中は甘くない。
誰かを責めたり、境遇を恨んだりしても争いの種になるだけだ。
我慢や辛抱、努力を重ねて、自分が変わることしか幸せになる方法はない。
しかし我慢や辛抱して人に優しくすれば、人から慕われ花が咲く。そしてその優しさはずっと人々の心に生き続けて行くこともある。
さらに、辛いのを我慢や辛抱して命をかけて努力すれば山だって作れるのだ。
そんな力を持つ人は、本来素晴らしい存在だ。
だからこの作品集を読む読者には、辛抱や我慢を重ねて花を咲かすような優しい人間になってほしい。
命をかけて山を作るような人間になってほしい。
自分もそうなりたい。」
このように作品集『ベロ出しチョンマ』で作者が伝えたかったことは、人は本来素晴らしい存在だという人間肯定観に基づく、エールと期待だったのではないかと、管理人は考えているのです。
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【この章の要約】
作品集『ベロ出しチョンマ』は多彩なストーリーで多様な登場人物が登場し、この世界が一律でなく多様だと伝えている。
自然の力で理不尽な目に合う作品や、人が良い方に変わらない作品もあるが、作者は起こっている事象を否定しない。現実を肯定し、その中でどう生きるかが大切だと伝えている。
また、なんの努力や我慢をしなくて幸せになることはできない。誰かを恨んだり責めても仕方ない。結局自分が変わるしか幸せをつかめないことも伝えている。
『プロローグ 花咲き山』『エピローグ トキ』を読むと、作者の作品集で伝えたかったことが分かる。
それは、
「人は本来すばらし存在だ。
人に優しくすれば花が咲き、ずっと人の心の中に咲き続けることもある。
そして命をかけて頑張れば、山だって作れる存在なのだ。
だから、読者にもそんな人になってほしい。そして自分もなりたい。」
という人への期待とエールだ。
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