★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月29日
4.将軍に会えたのかどうかを書かなかったのはなぜか?
『ベロ出しチョンマ』は長松一家が処刑されるというストーリーですので、展開を無理なくするために作者は出府が失敗したと明確に書くこともできたと思います。
例えば
「藤五郎は追っ手に気をつけながら藩の境までたどり着いた。しかし藤五郎に不満を持つ村人の密告により、藩を出たと同時に捕らえられた。直訴は失敗に終わり、長松一家は磔にされることになった。」
などという出府が失敗したという文章を入れれば、物語の展開はスムーズになったかもしれません。
しかも「父親藤五郎は将軍と会えたのか?」でも書かせて頂いた通り、現実的には藤五郎が将軍に会うのは非常に困難だった想像されます。
しかし作者は出府が失敗したとは明文化しませんでした。
なぜでしょうか?
その理由を考えてみたいと思います。
1.物語の印象が余りに暗くなるため
もし藤五郎の出府が失敗したと作者が原文で明示した場合、『ベロ出しチョンマ』という物語の印象はどうなるでしょうか?
元々この物語ストーリーは、子供も読む物語としてはかなり重苦しい物語です。
ウメの霜焼けを取る場面、村人達が相談する場面、長松達が捕まる場面、処刑の場面と暗い場面ばかりが続きます。
長松の表情という明るい要素はあるものの、全体の印象は非常に暗いと言っても良いと思います。
そこにさらに出府も失敗したと書くと、藤五郎の決死の行動は全く無駄になってしまい、暗さが一層増してしまいます。
また為政への反抗行動が結局失敗したということだと、全く希望が持てません。
なんのための物語だったのかという、暗い読後感しか感じない読者も出て来てしまう可能性があります。
そうならないために、作者は敢えて出府の結果を失敗したとは明記しなかったのだと、管理人は考えています。
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2.失敗した理由や状況を書かなくてはいけなくなるため
もし作者が失敗したと書いたとしたら、最低でも失敗した理由と状況ぐらいは書かなくてはいけなくなります。
ただ単に「失敗した」と書くだけでは読者は納得できないからです。
つまり「失敗した」と断定するだけでも、文章を増やさないといけないのです。
文章を増やすと、その文章を補足する文章まで必要なことがあり、どんどん物語が冗漫になって行く可能性すらあります。
作者斎藤隆介は、作品の主題を伝えるために、なるべく主題以外の文章を簡潔にしたかったと思われます。
そこで、出府の結果を敢えて書かないことで、作者は余分な文章をカットしたのだと管理人は考えています。
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3.主題が変質してしまう可能性があるため
もし作者が仮に本文に「出府は失敗した」と書いた場合、物語の流れは下記のようになります。
1.長松は妹ウメの霜焼けを取るときに、ひょうきんな顔で痛みを和らげていた。
↓
2.花和村は天災などがあり、ネングを納めると村人が暮らして行けなくなりそうなので、名主の藤五郎が江戸に出府し、直訴に行くことになった。
↓
出府は失敗し、長松一家は捕まった。処刑されるときに長松はウメにひょうきんな顔をしてみせた。
↓
処刑を見て心を痛めた村人達により、長松の行為は『ベロ出しチョンマ』というおもちゃとして伝えられた。
このように「出府が失敗した」と明文化すると、
「為政者に反抗しても失敗する。しかしたとえ失敗したとしても心を痛めた人達によって後世までおもちゃとなどとして伝えられることもある」
などという一種の因果律を主題として捉えられる可能性が出て来るのです。
これはこれで面白い主題なのですが、作者の本当に伝えたい主題はこの主題ではなかったと管理人は考えています。
そこで作者は、自分の本当に伝えたい主題を正確に伝えるために、敢えて「出府が失敗した」と断定しなかったのだと管理人は思うのです。
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【この章の要約】
作者が出府が失敗したと明文化しなかったのは、
1.物語の印象が余りに暗くなるため
2.失敗した理由や状況を書かないといけなくなり、物語の流れが遅くなるため
3.主題が変質してしまう可能性があるため
と考えられる。
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