★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月26日
2.父親藤五郎はなぜ「出府」したのか?
主人公長松はまだ12歳、妹のウメはたった3歳です。
この幼い二人の子供を持った働き盛りの父親を、捕まれば一家磔になると分かっていて、なぜ村人達は出府させることにしたのでしょうか?
普通なら、子供のいない老夫婦だけの家とか、もうどうなっても良い程貧窮した家の人が出府した方が合理的ではないでしょうか?
そういった村にとって影響の少ない人ではなく、なぜ名主の藤五郎を出府させたのでしょうか? その背景には村人のどういう感情があったのでしょうか?
ここでは村民達の気持にスポットを当て、藤五郎が出府しなければならなかった背景を探ってみたいと思います。
例によって作者は村人達の気持も書いていません。
ただ原文には以下のような村人達の会話があるだけです。
「もうこうなったらハァ、ちょうさんだ」
「いっそ打ちこわしでもやっか」
「ごうそするか」
「それよりだれかが江戸へじきそすれば--」
父ちゃんを夜おそく訪ねて来るおじさんたちは、じょうだんとも本気ともつかない調子でそんなことを言ってはタメいきをついた。 |
この原文から、以下のことが推察できると管理人は考えています。
1.いま現在はなんとか食べられている
もし花和村が今日食べることもできない状態であれば、夜な夜な集まって相談なんかしている暇はありません。
すぐにでも逃散や打ち壊しでもしなければ、餓死してしまいます。
そこまで切迫した状況ではないので、集まって相談してタメ息をついたりしているのです。
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2.『だれかが江戸へじきそすれば』という言葉には、保身が見える
村全体に影響がある相談の場合、村人各々の事情により様々な意見が出て来るのが、通常です。
しかし作者は様々な意見の中で、4つの言葉だけを取り出しています。
その中でも
『だれかが江戸へじきそすれば』
という言葉は、村民の気持ちをよく代弁していると管理人は考えています。
『だれかが』と書かれているということは、誰かには行ってほしいが、できれば自分は行きたくないという気持ちがこめられていると管理人は考えます。
直訴は罪が重く、捕まれば一家磔になってしまうので、できれば自分の家はそうなりたくない。
ただ、他の方法では効果が薄そうな上に、自分達村民の犠牲者も多そうだ。
直訴が一番効率が高そうだが、自分は行きたくない・・・
そんな村人達の複雑な思いが、この一言で表されているのです。
また集まって相談していると、例えば
「おらが直訴する!」
などと言う村人もいたと想像できます。
作者はそう書くこともできたのです。
しかし作者は『だれかが江戸に直訴すれば』という言葉を選びました。
この言葉を選んだ背景には村人達の、自分は行きたくない気持ちを暗示し、村人達も家族思いで保身のある普通の人達だと、読者に伝えているのだと管理人は考えます。
さらに、もし村人の「おらが直訴する」などという言葉を入れてしまうと、なぜ言った人を止めて藤五郎が出府したのかをくどくど書かなくてはならず、物語の進行が遅くなってしまいます。
そんな無駄なことはせず、作者は必要最低限の言葉で村人の心情を表すことにしたのだと管理人は考えています。
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3.『タメいきをついた』という言葉から、暴力的ではないと想像できる
村人達が夜な夜な集まっては物騒な話をして、しかし結局溜息をついて終わるということは、何を表しているのでしょうか?
1つは上記の通り、まだ集まっていられるだけの余裕があるということです。明日が食えないという状況であれば、溜息などをつかず行動を起こすしかありません。
もう1つは、基本的に暴力的な人達ではない、ということを作者は読者に伝えようとしたのではないかと思います。
血気盛んな集団であれば溜息なんかつかず、一気に一揆をしたり過激な行動に走ってしまうかもしれません。
しかし花和村の人達は、今までおだやかに暮らせていたので、できれば暴力沙汰などを起こさず、今までの暮らしを守りたいのです。
だからこそ悩み、溜息をついているのです。
このように溜息をついているという表現は、今すぐ食えないということでないことと、村人達が暴力的ではなく保守的だということを示しているのです。
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4.村人達は保身もあるが、暴力的ではない普通の人々
以上1、2、3で見て来たことをまとめてみます。
村人達は、今はまだ食べられている。
しかし今回ネングを納めると本当に食べられなくなりそうなので、夜な夜な相談している。
ただ今までの暮らしは守りたい。暴力的なことはできれば避けたい。もちろん自分が直訴に行って一家磔などにはなりたくない。
しかしこのままだとどうにもならないので、寄り集まっては溜息をついている。
村人達はそんな状態だったのではないでしょうか?
このように、村人達は保身もあるが、暴力的ではない普通の人々だということを作者はシンプルな言葉で伝えているのだと管理人は考えています。
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【この章の要約】
花和村の村民は今はまだ食べられている。
だが今年ネングを払うと暮らして行けそうにないので、皆で話し合っている。
村民たちは、暴力を好まない。しかし自分の身は可愛い、普通の人々。
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