★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月26日
2.父親藤五郎はなぜ「出府」したのか?
そもそもなぜ花和村の村人は打ち壊しや直訴などの藩への反抗策を考えるようになったのでしょうか?
それほど花和村は貧窮していたのでしょうか?
原文はこうなっています。
今年は急にネングをたくさん取られることになって、大人たちは困っているのだ。
去年も今年も洪水や地震や日照りやがあって、米も麦もロクロクとれないのに、殿様はネングを前よりもっと出せと言って来ている。
自分で食う米も麦もなくなって、どうにも出せない者がふえたから、少しでもある者からは根こそぎ持って行ってしまおうとしているのだ。 |
この原文から、花和村の状況を想像してみたいと思います。
1.『少しでもある者』なので、ネングは少しは出せる
原文に『少しでもある者』と書いているということは、花和村は全くネングを出せない状態では無いということです。
『どうにも出せない者』ではなく、まだ絞れば絞れるという状態ですね。
本当に出せない場合は、村から逃げたり、捨て身で打ち壊しや強訴などをやるしかないわけです。
花和村はまだそこまで貧窮していない状態と推察できます。
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2.『前よりもっと出せ』と言われているので、前はネングを納められていた
洪水や地震、日照りがあっても『前よりもっと出せ』と言って来ているということは、天災がない時は、ネングをしっかり納めていたと推察できます。
今回も、ネングを納めると村人は倒れてしまうかもしれませんが、『前よりもっと出せ』といえる程度の収穫はあったと思われます。
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3.第1章の『千葉の花和村』という言葉から、村は現在まで存在できた
『ベロ出しチョンマ』は冒頭で、今も千葉に花和村があると書いています。
ということは、花和村は超寒村で村中の人が逃げて村が崩壊してしまったとか、他の村に吸収されてしまって無くなったということではありません。
現在まで存続できた村なのです。
続けられるだけの力を持った村だったといえるのです。
以上1、2、3の理由により、花和村は豊かだったどうかまでは分かりませんが、今すぐネングを出せないほどの超寒村ではなかったと推察されます。
普通の状態なら暮らして行けた村と考えられるのです。
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4.物語展開上も、村営はうまく行っていた
物語の展開上も、花和村は超寒村では無い方が良かったと考えられます。
なぜなら、もし花和村が以前から貧窮に瀕していた場合、名主である藤五郎の村営がうまく行ってなかったということになってしまうからです。藤五郎の人格者というイメージを損なってしまうのです。
「長松の父親はどういう人物か?」でも書かせて頂いた通り、藤五郎が人格者であるというイメージはこの物語を支えていますので、そのイメージを損なうのは物語の成立自体に影響を与えてしまいます。
従って、物語展開上でも、花和村は村営がうまく行き、ある程度暮らして行けた村でないといけないのです。
このように、花和村は今までなんとかネングを納めることができていたが、今回ばかりは納めると暮らしていけなくなりそうな状態だということができると思います。
そんな状況なので、村人は信頼できる名主である藤五郎に夜な夜な相談に訪れて、打ち壊しだの強訴などの藩への反抗方法を考えているのです。
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【この章の要約】
花和村は、ネングを出すことができ、現在も存続していることから、超寒村ではなかった。
物語展開上も、花和村の村営はうまく行っていないといけなかった。
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