★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年4月4日
13.地域起こしに
このサイトを読んで頂いてる皆さんの中には、地域活性化の専門家でもないのに、なぜ管理人が突然地域起こしのことを書き出したのかと不思議に思われている方もおられると思います。
そこでここでは、この章を管理人が書こうと思った理由を書かせて頂きます。
1.作品集『ベロ出しチョンマ』は農村文化を後世に伝えたかった
「『ベロ出しチョンマ』執筆の動機」でも書かせて頂きましたが、作者斎藤隆介が作品集『ベロ出しチョンマ』を出版した動機の1つに、滅び行く農村文化の継承があったと、管理人は考えています。
斉藤隆介は、農村の文化や方言を素晴らしいものと考え、物語という形で読者に伝えたかったのではないかと思うのです。
では作品集が出版された半世紀前と現在では、農村文化はどう変わったでしょうか?
農村文化は継承されているのでしょうか?
残念ながら、作者の願いとは全く逆になっていると言ってもよいと思います。
農村は人が減り続け、高齢化がどんどん進み、もう実質的に消滅した集落や、
「限界集落」などと呼ばれ、存続の危機にある集落も多数存在します。
文化の継承どころではなく、文化の担い手である農村自体が消え行こうとしているのです。
これはとても勿体無いことですが、正直如何ともしがたいものがあります。
いくらその地区に、ずっと昔から伝えられてきた独自の風習、祭り、民芸などがあっても、それを継承して行く人がいなくなれば、途絶えざるをえないからです。
そして、そんな地方文化が途絶えようとしていることに、ほとんどの人は興味がありません。
当事者達でさえ諦めて、先祖代々続いて来た伝統文化は、誰にも受け継がれることなく、ひっそりと消えようとしているのです。
ただ、もし『ベロ出しチョンマ』を読んでもらえたら、物語の多様さなどに感銘を受け、地方の文化に興味を持つ人がいるかもしれない。
例え創作民話と分かっていても、農村文化は素晴らしいなあと、感じる人がいるかもしれない。
そしてそんな人の中から、文化を継承しようという人が現れるかもしれない……そんな期待をこめて、管理人はこの章を書くことにしたのです。
せっかく『ベロ出しチョンマ』を深読みして来たのですから、作者斎藤隆介の農村文化への思いを、管理人も皆さんにお伝えたかったのです。
それがこの章を書いた第1の理由です。
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2.『ベロ出しチョンマ』は、地方が生き延びる方法を暗示!
(1)作品『ベロ出しチョンマ』の粗筋
(2)花和村の村人は自分達の力で花和村を存続させた
(3)作品『ベロ出しチョンマ』は地域存続方法を暗示
(1)作品『ベロ出しチョンマ』の粗筋
作品『ベロ出しチョンマ』において、現在まで花和村が存続できたのはなぜでしょうか?
ここでもう一度粗筋で確認してみます。
<粗筋>
「2年連続で天災が続き、藩は花和村にネングの増納を命じた。
村人達はこれ以上ネングを納めると暮らして行けないと、名主である藤五郎の家に夜な夜な集まり相談した。
その際
『「だれかが江戸へじきそすれば--」』
などと、保身から誰かになんとかして欲しいと願う者もいた。
村人の思いを汲み、名主の藤五郎が直訴に行くことになり、出府した。
しかし藤五郎は捕まり、一家全員処刑になった。
処刑を目の当たりにした村人達は、妹ウメに舌を出す長松の姿に心動かされると同時に深い反省をした。
村人達は一家を悼んで社を建て、ベロ出しチョンマという人形も作った。
藩の為政は変わらず社は壊され続けた。しかし村人達は諦めず、壊されるたびに社を建て続けた。
そして現在まで花和村を存続させ、社は神社となり、人形も売られている。」
これが作品『ベロ出しチョンマ』の粗筋です。
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(2)花和村の村人は自分達の力で花和村を存続させた
上記粗筋のように作品『ベロ出しチョンマ』では、村人達は名主一家の処刑をきっかけに自分達が変わり、自分達の力で花和村を継続させたのです。
本文には明記はされていませんが、藤五郎に頼っていた村人達は、藤五郎を失ったことで自分達でなんとかするしかないと気づき、様々な我慢や苦労や努力や工夫を積み重ねて現在まで花和村を存続させたのでした。
この花和村のストーリーは、現実の
「地域が生き残る方法」
を暗示していると管理人は考えています。
日本では少子高齢化や人口の都市集中などの影響で、消滅しようとする地域がいくつも存在しています。
そういった地域は、住人も高齢になっているので、地域で働くことも、地域のために活動することも難しい部分があります。
子供達は仕事を求めて都会に出て行き、未来は見えず、もはや消滅を待つしかないと思われる状態です。
国や地方自治体は様々な補助を行い、地元企業もブランド化など様々な地域支援を行います。
しかし他の地域も同じことを行うので、結局埋没してなかなかうまく行きません。
その間にも人は減り、いよいよ存続の危機を迎えている地域もあります。
そうなった時、選択は2つです。
1つは、諦めて自分達の代で地域を終わらせると決める。
これはこれで1つの決断であり、地域の人達自身が決めたのですから、尊重すべきだと思います。
もう1つは、なにがなんでも地域を残すと決心する、です。
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(3)作品『ベロ出しチョンマ』は地域存続方法を暗示
もし地域を残すと決心した時、この『ベロ出しチョンマ』のストーリーは、地域存続のあり方を暗示しています。
それは、結局自分達の地域は自分達が守るしかないということです。
例え高齢者が多くて動ける人が少なくても、活動できる人が歯を食いしばって自分達の地域は自分達で守るしかないということなのです。
国や地方自治体や企業などの「他の誰か」の世話にならず、自分達自身の力で地域を守ろうとするのが、最も重要で効果的なのです。
『ベロ出しチョンマ』では、村人達がどうやって村を存続させたか明文化されていません。ただ下記のように暗示されています。
『長松親子が殺された刑場のあとには、小さな社が建った。役人がいくらこわしても、いつかまた建っていた。』
名主である藤五郎一家が処刑された後、恐らく藩は、藩の言いなりの名主を任命したと思われます。そして花和村には一層厳しく施政したと思われます。
反逆者を祀った社などは、これみよがしに壊したと考えられます。
それでも村人は屈することなく社を建て続けました。
村人は、決して藤五郎のことを忘れないと決心したのです。
その決心は時代が移っても変わらず、社は今では神社になっているのです。
しかも花和村には、厳しい為政以外にも、天災や人災などの様々な困難や辛苦が襲ったと思われます。
そのたびに村人達は藤五郎一家のことを語りつぎ、我慢や辛抱や努力や工夫を重ねて、自分達の力で村を守りきったのです。
作者斎藤隆介は、日本各地の衰退しつつある地区に、花和村のようになってほしいと願っていたのではないかと思うのです。
秋田に疎開したりして、地方の衰退を目の当たりした斉藤隆介は、
「地域が生き残るには、地域の人自身が自分達の力で頑張るしかない」
のだと確信し、『ベロ出しチョンマ』にその思いを仮託したのだと思うのです。
もし地域の再生を、住民自身が諦めたら、そこで終わりです。
しかし、花和村の村人のように
「何かに頼らず、自分達の力で生き残る」
と決心した地域は生き残る可能性が出て来ます。
覚悟が違うので少々のことではへこたれません。
最初から何かをあてにしていないので、今ある物から最大限のエネルギーを出す努力をします。
また花和村が木元神社を作ったように、
「無ければ自分達で作る」
ことだってできるのです。
すぐに結果が出なくて、心が折れそうになることもある。我慢や辛抱も沢山ある。
それでも諦めずに、我慢や辛抱や努力をずっと続けると、きっと花和村のように生き残れる。
そんな作者の地域へのエールが『ベロ出しチョンマ』には内包されているのです。
これがこの章を書いた第2の理由なのです。
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【この章の要約】
管理人が作品集『ベロ出しチョンマ』を地域起こしに活用できると書いた理由。
1.作品集『ベロ出しチョンマ』には、農村文化を後世に伝えてもらいたいという作者の意向があるから。
2.作品『ベロ出しチョンマ』は、自分達が覚悟を決めれば地域は生き残れると暗示しているから。
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