★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年2月22日
10.『ベロ出しチョンマ』の急所
1.ストーリーが重い
『ベロ出しチョンマ』の粗筋を書くとどうなるでしょうか?
ごく簡単に書いてみます。
「千葉県にある花和村に、江戸時代にいた名主の息子木元長松は、しばしば妹ウメの霜焼けを取っていた。霜焼けを取るときにウメは痛がって泣くので、ひょうきんな顔でウメを笑わせて、痛みを緩和していた。
その頃花輪村付近では天災が続き、領主から年貢の増納を命じられた。
しかし増納すると暮らして行けそうにないので、村人達は毎夜長松の父親藤五郎の家に集まっては対策を考えていた。
相談の結果、藤五郎が江戸の将軍に直訴に行くことになった。藤五郎は家族に告げずに出て行った。
しかし藤五郎は捕まり、一家全員が磔されることになった。
処刑の時ウメが怖がったので、長松はいつものようにひょうきんな顔でウメの苦痛を和らげた。
その姿を見て笑いながら泣いた村人達は、藤五郎一家のために社を建て、長松を模した『ベロ出しチョンマ』という人形も作った。
花和村にある木元神社の縁日では、今でも『ベロ出しチョンマ』の人形を売っている。」
こんな感じになると思いますが、ストーリーとしてどう感じられるでしょうか? 読んでみたいと思われるでしょうか?
子供達が磔で処刑されますし、霜焼けを取るという行為もしょぼくれていますし、正直読む気が起きない人もいるのではないでしょうか?
また読後感も、
「爽やかな感動!」
とは行かず、人によってはどんよりとしてしまうのではないでしょうか。
このストーリーの重さは、『ベロ出しチョンマ』の急所ではないかと管理人は考えています。子供が読むものとしても結構ハードな気がします。
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2.画にしにくい
『ベロ出しチョンマ』で重要な、主人公長松が妹ウメを笑わせる時の顔はどんな顔なのでしょうか? 原文は下記の通りです。
(前略)眉毛をカタッと「ハ」の字に下げて、ベロッとベロを出してやるんだ。
するとウメは、(中略)そのままケタケタと笑い出してしまう。笑い出さずにはいられない。(中略)
アンちゃんの顔は、それほどマヌケたツラになるのだ。 |
ということですが、その長松の顔が想像できるでしょうか?
処刑されるときも、この顔を見た村人達は
『泣きながら笑った、笑いながら泣いた。』
と書いてありますので、悲しさを吹き飛ばすぐらい面白い顔だと考えられるのですが、果たしてどんな表情なのでしょうか?
頭の中におぼろげに想像できるような気もしますが、正直いうと管理人には想像できません。
考えてみれば、面白いと感じる顔は一人ひとり違うはずです。
ある人は面白いと思っても、他の人は面白いと思わないというのが普通です。
かなり大勢が面白いと思う顔というのはあると思いますが、それでも処刑される姿を見ても笑える顔というのはなかなか思い浮かばないのではないでしょうか。
つまり長松の誰もを笑わせられる『マヌケたツラ』というのは、文学作品上の表現としては存在しても、現実には極めて存在が難しいものなのです。
この『マヌケたツラ』も文学上の表現だけで終わるなら問題ないのですが、視覚に訴えさせるとなると難易度が格段に高くなります。
処刑される場面でさえ人を笑わせるような『マヌケたツラ』を、絵にしろと言われたら、相当難しいのではないでしょうか。
作品集『ベロ出しチョンマ』の挿画を担当する滝平次郎も困ったのではないでしょうか。
この長松の誰もが笑える『マヌケたツラ』が画にしにくいというのが、『ベロ出しチョンマ』の急所の1つだと管理人は考えています。
画にしにくくても問題ないじゃないかと思う人もおられるかもしれませんが、子供も読む短編としては大きな損だと管理人は考えています。
それは絵本にしづらいからです。
本来この『ベロ出しチョンマ』は短編ですし、絵本になってもおかしくない作品です。
ところが重いストーリーと、長松の『マヌケたツラ』の描きにくさがあいまって、ほとんど絵本になっていないのです。
作品集『ベロ出しチョンマ』の中では、『モチモチの木』『八郎』『三コ』『花咲き山』などのように絵本としても出版されているものも多いのですが、表題作なのに『ベロ出しチョンマ』は絵本にするのが難しい作品となってしまっているのです。
作者の文章テクニック満載の作品だけに惜しいことですが、絵を描く人のことを考えれば仕方ないのかもしれません。
ちなみに滝平次郎はどう対応したかというと、原文内にある挿絵は、処刑直前の姿は描いていますが、『マヌケたツラ』は描いていません。
愛蔵版の表紙は長松が処刑されている姿を、滝平次郎にしては珍しく、彩色の絵で描いています。
その顔は眉毛を下げてベロを出してはいるのですが、思わず吹き出すというものではないように管理人には思えます。
優しく笑っているようにも見える表情なのです。
人を笑わせる最も効果的な表情は、自分が笑うことです。
相手に優しく笑うと、余程変わっている人でない限り、相手も笑顔になるものです。
表紙絵を描く際、滝平次郎は
「処刑の時でさえ、見ている人が笑顔になれるのはどんな顔だろう?」
と想像したのではないでしょうか?。
そして、みんなを笑顔にできるのはやはり笑顔だろう、と考えたのではないでしょうか?
そこで長松の表情を優しい笑顔にしたのかもしれません。
もし目の前で処刑される人がいて、その人が飛び切りの笑顔を見せたら、見てる人は刹那だけでも笑顔になれるかもしれない。
そんな滝平次郎の温かい願いが思い浮かぶような、柔らかく優しい表情に管理人には思えてならないのです。
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3.主題が分かりづらい
作品『ベロ出しチョンマ』の最大の急所は、主題が分かりにくく、様々な読み方をされてしまうことだと管理人は考えています。
この深読みで見て来た通り、作者は以下の物語中重要なことを明記していません。
・藤五郎が直訴に行った理由
・出府の結果
・長松のベロ出しで、ウメが笑ったかどうか
・どうやって村人達が、現在まで花和村を存続させたか
これらは本来は物語進行上大きな意味を持ち、作者は原因や結果を書こうと思えば書くことができたはずです。
しかし作者は敢えて明文化しませんでした。
さらに作者は、
・主題
・教訓
という、物語を通して訴えたかったことすら明文化しませんでした。
もちろん明文化しなかったのには様々な理由があり、それをこの深読みで紐解いて来た訳です。
多くの重要なことを明文化しなかったことにより、物語自体は重い展開にも関わらず非常にコンパクトに軽くなりました。
また書かないことにより、短編なのに読者の想像の幅が広い、奥深い傑作となりました。
しかし重要なことを書かず読者の想像の枠を広げた結果、主題が伝わりにくくなった、と管理人は考えています。
管理人は『ベロ出しチョンマ』の主題を、
「人は素晴らしい存在だ!」
という人間肯定だと考えていますが、これはあくまで管理人個人の意見であり、他にも以下のような主題も考えられます。
・圧政で名主一家を失いながらも、現在まで村を継続させた村人達のレジスタンスの物語。主題は、どんな辛い出来事があっても、皆で諦めなければなんとかなるという、意志の大切さ。
・極限の状況でも無私の優しさを発揮すれば語り継がれることがあるという物語。主題は「献身」の素晴らしさ。
・為政者に反抗しても無駄だという物語。主題は、圧政には我慢すればなんとかなるという「我慢」の大切さと、反抗には犠牲がついて回るということ。
・身勝手な行動でも、正しいことは言葉にしなくても伝わるという物語。主題は信じ合うことの大切さ。
・犠牲はあっても、圧政には反抗すべきという物語。主題は、理不尽なことには犠牲も覚悟して、命をかけて反抗すべきということ。
・例え信念に基づいたとしても親の勝手な行動は、家族に悲劇をもたらす事があるという物語。主題は、身勝手な行動は駄目だということ。
・農民が虐げられ、大きな犠牲を出したことを語り継いだ物語。主題は、身分制度はいけないということ。
・責任者は命をかけてでも、大切なものを守らないといけないことがあるという物語。主題は、責任というものの重さと、しっかり責任を果たすと皆に伝わるということ。
・納得できないことには、犠牲をものともせず信念を貫くべきという物語。主題は、信念の大切さ。
・どんなに辛いことがあっても、辛抱し我慢すればいずれなんとかなるという物語。主題は、堪えることの大切さ。
・村の責任者が藩の意向に背いたことで、一家が犠牲になり村も救われなかったという物語。主題は、責任者は与えられた使命を全うする必要があること。
・困ったことがあれば、犠牲が伴うこともあるが、トップに直訴すればなんとかなるという物語。主題は、訴える相手はトップが一番効果的だということ。
・一致団結すれば苦難も乗り越えられるという物語。主題は、団結の大切さ。
etc....
このように思いつくだけでも、多様な読み方ができてしまいます。
もちろん作者は、
「多様に読んでもらっても良い!」
と割り切って言葉を削って行ったのだと思います。
ただ、余りにも多様過ぎるような気もします。
読み方が多様にできてしまうということは、人によって作品の評価が大きく違ってしまうということです。
管理人のように感動する人もいれば、我慢しろというのが主題の救いのない陰気な物語という判断をする人もいる、ということになります。
実際、管理人も知人に読んでもらったところ、
1人は、農民達によるしたたかなレジスタンスの物語と言っていました。
またもう1人は、虐げられた農民が長松の行為で少しだけ救われる物語、というような感想でした。陰気で全然面白くない作品で、もう読みたくないとさえ言っていました・・・。
多様な読み方ができるというのは素晴らしいことな反面、作者の真意とは全く違った読み方をされ、ネガティブな反応を示されることもあるということなのです。
そういった意味では、『ベロ出しチョンマ』は主題が分かりにくい難しい作品といえるかもしれません。
よく国語の授業で行われる
「作者の意図を探る」
という作業が非常にしづらい作品といえるともいえます。
教科書向きではないのです。
『ベロ出しチョンマ』は文章を削りに削って必要最低限にしたため、多様な読み方ができるようになりました。
しかし多様な読み方ができるがために主題も分かりにくく、ネガティブな読み方で評価を下げてしまうという急所を持ってしまった、と管理人は考えています。
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【この章の要約】
『ベロ出しチョンマ』にも急所はある。
1つ目は、子供達が処刑される場面があるなど、ストーリーが重いこと。
2つ目は、長松のベロ出しが画にしづらいこと。
3つ目で最大の急所は、主題が分かりづらく多様な読み方ができてしまい、人によって評価が大きく異なってしまうこと。
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