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深読み 『ベロ出しチョンマ』!


★このページの初出 2020年2月22日
★このページの最終更新日 2020年3月30日

7.作者が伝えたかった主題
4.作者が伝えたかった教訓や希望

4.どんなときも優しくしてほしい
<ポイント>
1.長松の無私の優しさは村人の心に響いた
2.現実で優しくするのにはリスクを伴う
3.無私の優しさは語り継がれることもある
4.どんなときも優しくしてほしいという希望
この章の要約



1.長松の無私の優しさは村人(むらびと)の心に響いた

処刑時の長松のベロ出しは、ウメの苦痛を緩和するという意味はありましたが、苦痛は緩和されてもすぐにウメは処刑され、長松自身も処刑されるわけですから、
実利的な意味はあまりありませんでした。

ところがこの無駄とも思える行動は、村人の
心を強くうちました

長松の全く見返りを求めないない
無私の優しさに、村人は大きく心を揺さぶられたのです。

もし長松がベロ出し行為の前に、
例えば
「ベロを出してウメの苦痛を和らげてやる! 殿様、この姿をよく見て反省するんだナ!」
などと叫んで、
計算ずくでベロだしを行ったならば、あざとすぎて村人は胸を打たれなかったと考えられます。

しかし長松のベロ出しは
全く見返りのない、無私の優しさでした。だからこそ村人の心を打ったのです。

心を打たれた村人達は、その優しさを忘れないで
後世にも伝えるために「ベロ出しチョンマ」という人形を作ったのです。

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2.現実で優しくするのにはリスクを伴う

ここで少し話を変えてみます。

僕達が現在生きている
現実世界では、全く無私の優しさを発揮することは可能でしょうか?

可能ではあるのですが、僕達が人に優しさを発揮する多くの場合
お礼を言ってほしい」
笑顔を向けてほしい」
「優しくした
自分の心が落ち着く」
などの
見返りを無意識の内に求めています。

例えば困っている人を助けたとしても、心の奥底で
「せめてお礼は言ってほしい」
と思っています。

その証拠に、優しくしたのに全く感謝する雰囲気もないと、少し
テンションが下がります

例えば虫がひっくり返ってもがいているのを助けた時も、心の奥底で無意識の内に
「いい事をした」
という
心の安寧を得ています。

少なくとも僕はそうです。

実は現実世界では、全く無私の優しさを発揮するのはなかなか
難しいのです。

しかも全くの善意で無私の優しさを発揮したとしても、大抵は
その場の感謝だけで消えてしまいます

またひどい時には優しさが曲解され、
売名行為だとか、見返りを求めてるんだろうと罵られたりします。

自分はよかれと思って優しさを発揮しても、相手はそれを優しさと取らないということは、現実では
往々にして起こるのです。

優しさを発揮することで、
自分の立場が悪くなるということが起こりえるのです。

つまり現実生活では無私な優しさを発揮するのは、リスクを伴う
勇気のいることでさえあるのです。

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3.無私の優しさは語り継がれることもある

『ベロ出しチョンマ』の作者斎藤隆介は、現実世界を生きているので、無私の優しさを発揮するのが
難しいことはよく分かっていたはずです。

しかし『ベロ出しチョンマ』では、長松に無私の優しさを発揮させています。

なぜ作者は、現実では難しい無私の優しさを発揮する姿を描いたのでしょうか? そこにどういう
意図があったのでしょうか?

まず長松のベロ出しには、作者の伝えたかった主題でも書かせて頂いた通り
「人は生来優しさを持っていて、しかもそれをどんな時でも発揮できる素晴らしい存在」
という
主題を伝える意味がありました。

そしてその長松の無私の優しさが村人達の心を打ち、「ベロ出チョンマ」という人形として
現在まで語り継がれる様子を書くことで、
無私の優しさは、後世までずっと語り継がれることがある」
という事実を読者に伝えている、と管理人は考えています。

これが作者が長松のベロ出しを書いた
もう1つの大きな目的だったと、管理人は考えているのです。

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4.どんな時でも優しくしてほしいという希望

作者は、長松の無視の優しさが現在に至るまで人形という形で語り継がれることを書くことで、無私の優しさがずっと
語り継がれる可能性があることを読者に示しました。

作中で語り継いだのは村人です。
村人は誰かでも書かせて頂いた通り、村人は読者自身です。

つまり無私の優しさを発揮すれば、それを見ていた我々自身によって
長く語り継がれることもあると、作者は「ベロ出しチョンマ」という人形が現在まで作り続けられる事実を通して訴えているのです。

管理人は、この無私の優しさが語り継がれることがあることを書いた背景には、作者の
「(語り継がれることもあるのだから)読者にも
無私の優しさを発揮してほしい!」
という希望が込められていると考えています。


現実世界では無私の優しさを発揮するのは
リスクでさえあります。優しくするのは勇気のいることなのです。

しかし無私の優しさを発揮すると、時にはずっと語り継がれることがある。

だから、
優しくしてほしい

人は生まれながらにして優しさを持つ
素晴らしい存在

だからこそ、その優しさをどんな時でも、例え
無駄と思える時にでも発揮してほしい。

そうすればずっと語り継がれることもある。
優しさは、全くの無駄ではないんだ!

これが、作者が無駄とも思える長松のベロ出しに込めた、読者への
熱い希望なのです。


『ベロ出しチョンマ』において、長松のベロ出しを人形にして語り継いだのは
村人です。

村人には、藤五郎を出府させ長松を処刑に追い込んだ責任があります。

しかし一方で、村人達は長松の無私の優しさに心を打たれ、ずっと語り継ぐことができる
優しさも併せ持っています。

村人も優しいのです。

自分が優しさを持っているからこそ、他人の優しさが分かる

しかもその優しさを語り継ぐことができる。優しい気持ちをずっと持ち続けて、
伝えて行くことができる。

村人は読者でもあるので、読者であるあなたも優しい

あなたも優しさを持っているのだから、どんな時も優しくしてほしい。そしてその優しさを、ずっと持ち続けてほしい。

生来優しさを持つ
素晴らしい存在であるあなたには、それができる。

作者はそう信じて、読者に、
「優しくしてほしい」
という
希望を託したのです。

そこまで作者は、
人を信じ期待しているのです。

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【この章の要約】
長松処刑時の無私の優しさは村人の心を打ち、村人達は「ベロ出しチョンマ」という人形を作って優しさを語り継いだ。

現実では優しくするのにはリスクを伴うこともある。
しかし無私の優しさは後世に語り継がれることもある。
だから読者にも優しくしてほしい。それが作者の希望。

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4.作者が伝えたかった教訓や希望へ
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